公明党が自民党との連立から離脱した。票の切れ目が縁の切れ目だったのだろうか。そもそもなぜ公明党は、自民党と組んだのか。
【映像】池田氏への国会招致要求で騒然とする様子(実際の映像)
公明党が結党されたのは1964年、アジア初となる東京五輪が開催され、東海道新幹線が開通するなど、日本が戦後復興から高度経済成長期に突入する転換点となる、象徴的な年だった。1970年、創価学会総会で当時の池田大作会長は政教分離について「創価学会と公明の関係は、あくまでも制度の上で明確に分離していく原則をさらに貫いていく」と発言。
公明党は1965年の参院選で11議席、さらに1967年の衆院選で25議席を獲得。当時の選挙制度は、1つの選挙区から複数の当選者が出るため、小政党が単独でも「中道野党」として一定の存在感を示すことができた。
最初の転換点となったのは1993年
