最初の転換点となったのは、結党29年後の1993年だった。自民党が今と同じように過半数割れを起こしていた中、非自民8党会派の連立で細川政権が誕生し、初めて政権与党となった。公明党からは4人が入閣した。

 だが1994年に細川政権が倒れ、羽田政権を経て、再び政権交代。6月に「自社さ」連立の村山内閣が発足し、野党に戻った公明党は、解党までして小沢一郎氏らが主導する新進党に飲み込まれる形で参加した。

 自民党は「創価学会に事実上支配されている公明党が政権に参加して権力を行使するのは、憲法20条の『政教分離』に反するのではないか」と、亀井静香氏ら保守系重鎮は1994年2月、「憲法20条を考える会」を結成して執拗にせめ立てた。この会には当時1年生議員だった安倍晋三氏も参加したとされる。

池田大作名誉会長への国会招致を要求
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