第81代内閣総理大臣の村山富市氏が、101歳で亡くなった。1994年6月に行われた総理指名選挙では、小沢一郎氏率いる連立与党側が擁立した海部俊樹元総理と、当時野党だった自民党が担いだ村山氏の一騎打ちに。結果は、村山氏が海部氏を破り、自民党・日本社会党・新党さきがけによる「自社さ」連立政権が発足した。
自民党は、長らく政権与党として権力を牛耳っていたが、1993年の細川連立政権発足で下野していた。社会党は、その後の羽田政権で連立を離脱し、自民党に担がれる形で、自社さ連立政権が成立した。
左右異なるイデオロギーの政党による連立政権は、歴史の転換点の象徴だった。1989年にベルリンの壁が崩壊し、1990年に東西ドイツが統合。1991年にソビエト連邦が解体した。その3年後に、日本において社会党で史上2人目となる総理大臣が誕生した。
しかし、最大の労働組合組織で野党を支えた「連合」初代会長の山岸章氏は、「自民党政権の復活につながる危険性が大だ」との懸念を口にした。1994年6月時点の衆院議席数は、社会党74に自民党206で、主要閣僚には自民党の実力者が並んでいた。自民党の宿敵だったはずの社会党が野党に下っていた自民党の復権と延命に手を貸してしまうのではないか。山岸氏の懸念は数年後に的中することになった。
村山総理、党是の矛盾をつかれ批判が殺到
