総理になった村山氏の最初の仕事は“自衛隊合憲”と“日米安全保障条約を認める”ことだった。それまで社会党は「日米安保条約は廃棄」が党是で、自衛隊は違憲、日の丸・君が代にも反対を訴えていた。

 その矛盾を突かれることを、村山総理は覚悟していた。国会では「私としては専守防衛に徹し、自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は、憲法の認めるものと認識している。国際的に冷戦構造が崩壊し、国内的にも大きな政治本革が起きている今日こそ、未来志向の発想が最も求められている」と答弁した。

 消費税も「廃止」を公約の柱にしていたが、3%から5%への増税方針に同意した。「公約違反だ」と厳しい追及を受けたが、村山総理は「結論として、政権を担う立場から、私としては責任ある決断をする必要があると判断した」といった趣旨の回答をした。

 当時を知る旧社会党の党職員は、「総理大臣になんてなってしまったばっかりに、当時の社会党の存在理由ともいえる基本政策を180度変えた。社会党の歴史的な役割が終わったとまで言われ、戦後の総理大臣のなかでもっとも苦しんだのではないか。それでも村山氏は『全部自分1人で決めた』と1人ですべての泥をかぶって、泣き言を聞いた記憶はない」と振り返る。

阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件の対応も…
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