「自衛隊違憲→合憲」「日米安保廃棄→認める」宿敵と連立した末路…自社さ連立・村山富市元総理の教訓

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 1995年1月17日には阪神・淡路大震災が発生した。当時の自衛隊派遣の手続きは、いまより複雑で、都道府県知事からの出動要請が必要だったため、初動が遅れ政権批判を増幅させた。その対応に追われる中、3月には地下鉄サリン事件も起きた。

 村山氏が自然災害やテロに翻弄される中、自民党は復権に向けて動いていた。「いずれは社会党総理の時代は終わり、自民党が政権に復帰する」との声がささやかれ、オウム事件の対応にあたっていた国家公安委員長の野中広務氏や、自民党総裁の橋本龍太郎氏が密会を重ねていたとされる。

 村山総理は1995年、戦後50年に合わせて「村山談話」を発出した。自民議員たちと激論を交わしつつも、過去の植民地支配と侵略を認め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する内容だった。長きにわたる自民党支配の日本で歴史的な談話となった。

米兵少女暴行事件が村山総理の気力と体力を根こそぎ奪う
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