設計したのは元三洋電機の当時30歳だったエンジニアの山谷英二氏。三洋電機の創業者・井植歳男氏から「人間を洗う洗濯機を作れ」と開発を命じられ、手探りで作り上げた。
現在85歳の山谷氏は「人間を洗うなんて失礼な」と言われたとして、人間洗濯機に入るモデルに「ごめんな、こんなところに押し込んで」と頭を下げたと回顧。「開発はその後も続けていたんですけど、世に出なかった」と明かした。
当時の万博のテーマは「自動」へのアプローチだった。携帯電話の原型となるワイヤレステレホン、テレビ電話や歩く歩道、モノレール、電動自動車、自動シャンプー機など、夢の未来には確かなニーズがあった。
では「人間洗濯機」はどうだったのか。あれから55年、今こそ必要になったのかと聞かれると素直に「ハイ」と答える人はどれだけいるのだろうか。しかし、ここで放たれた未来は終わっていなかった。
何度も万博に足を運んだ“ある少年”
