10月23日にプロ野球・ドラフト会議が行われる。高校・大学・社会人と、各世代で投手に有力候補が揃う中、野手の注目株の一人にあげられているのが、立教大・山形球道外野手だ。今年、東京六大学野球・春季リーグで、打率4割4分4厘、5本塁打、17打点で立教大としては59年ぶり、“ミスタープロ野球”のOB・長嶋茂雄さんでも成し得なかった打撃3冠に輝くと、侍ジャパン大学日本代表にも選ばれた。172センチと小柄ながら、豪快なバッティングを披露する山形の魅力を、ABEMAが取材した。
「球けがれなく道けわし」。水島新司氏の野球漫画「球道くん」の主人公である中西球道の名前の由来が、そのまま山形の名にもなった。「小学3年生ぐらいに話を聞いて、自分は野球をやっていてよかったなと思いました」。その名が示す通り、自分が信じる野球道をひたすら走った20年。生まれは東京ながら、高校は沖縄・興南高校に越境入学した。きっかけは同校のOBで、オリックスで活躍する宮城大弥。「甲子園を見ていて、宮城さんは身長が低くても、1年生ながら甲子園でも堂々と投げている姿見て、本当にかっこいいなと思ったのが最初のきっかけでした」。
高校入学とともに親元を離れ、沖縄での寮生活。2週間に1度の外食日以外は、家族にも会えない。スマホの使用時間も厳格に決められていた。一人っ子で、何不自由なく過ごしてきた山形にとっては、厳しい規律の中での生活が、野球をする上での大きな礎にもなった。「全部自分でやらないといけないので、洗濯も初めてでしたし、自分で考えるようになりました。監督さんからよく言われていたのは、寝ていても食べている時も実戦を想定してやれということ。本当に五感を研ぎ澄ませながら過ごした3年間でした」。日頃から意識高く生きることで、守備についた時の風の感じ方、打席の中での投手との心理戦など、戦う上で必要なものを見逃さない感覚が磨かれた。
野球推薦で進学もできたが、あえて指定校推薦で父の母校でもある立教大に進んだ。「部長先生の話だと、何校かお誘いはいただいた。自分はもともと東京六大学でやりたい気持ちがありました。立教大はお父さんの母校でもあって自分に近い存在だったので、自分もユニフォームを着て、神宮球場でプレーしたいと思い、高校2年生の時から本当に立教大に進学すると決めてやっていました。指定校推薦で行ける成績を取ってはいたので、野球で進学するよりは、ちゃんと成績も取って文武両道で入れたら一番いいなと思っていました」。
長嶋茂雄さんをはじめ、数々のプロ野球選手も輩出している名門・立教大。憧れの神宮球場の土は、なかなか踏めなかった。Bチームに所属していた際、Aチームの先輩と一緒に練習する機会に恵まれると、意識や考え方の違いを実感した。「本当にAチームの人と自分は考え方が全然違うなと感じる部分がありました。そういう先輩はかっこよく見えるので、自分もそういう存在になりたいなと自主練習の量を増やすようなことを始めました」と、野球への向き合い方が変わり、興南高校時代に培った自分で考え、とことん突き詰める精神が発揮され始めた。チームメイトからも「負けず嫌いで夜中でも練習している」「人一倍練習する。後輩にもいい影響を与えている」「本当にずっと練習している。フォーム、打感を試して自分の形を見つけてから春のリーグ戦であの結果が出た」という声が並ぶ。
■一本足打法で開花
