板井客員教授は「“田舎ならでは”の『声かけ避難』ができていたおかげで助かった。福祉施設の車も迎えに来て、皆で協力した。日頃から地域が一体となり、動けないようなおばあちゃんを、皆が肩を貸したりしながら、一緒になってとりあえず避難した。気付いた人が各家を回りながら『逃げて』と、どんどん声をかけたため、声かけ避難がうまくいったのだろう」と考えている。
避難所となっている佐賀関市民センターでは、現在108人が避難生活を送っている。多くは高齢者で、「着の身着のまま」で逃げてきたため、家も財産も思い出もすべて失った。追い打ちをかけるように、県内ではインフルエンザが猛威を振るっている。
大分市福祉保健課の三浦拡さんは、「高齢者が多く、慣れない避難生活が何日も続いているため、発熱や下痢症状など、体調を崩す人もいる。『いつまでもここに』とはいかないと考えている。長期戦になるため、人員配置をうまく工夫しながら、なるべく一気に体力を使い、もたなくなることがないように注意しながら回している」と語る。
大分市の担当者たちも、発生当日から不眠不休で懸命に対応を続けている。そんな市職員らを助けるのが、民間の支援だ。三浦さんも「現場に来て驚いたのが、いろいろな外部団体がどんどんと駆けつけてくれること。いろいろな災害現場に出ている人が『あそこではこうしたから、こうした方がいい』とアドバイスしてくれるため、本当にありがたい。いつもの日常を取り戻せるような支援があれば、避難者にもいい」と話した。
火災発生直後に支援に動いた人も
