■老いとの闘いと奪われた「生きがい」
脳梗塞で入院した岡田さん
2018年、熊本市にやってきた岡田さん。劇団には、県外から公演の依頼が舞い込むようになった。苦しい介護を救った演劇が観客の笑いと涙を誘った。「老いた自分として、奥様を見ている岡田さんの思いを想像したり……ラブロマンスに見えました」と涙ながらに語る観客も。
この2カ月後、岡田さんは脳梗塞で倒れて入院。その翌日、病室で「一刻も早くここを脱出したい。それと生きるのに疲れた。ただし一つの生きがいはオイ・ボッケ・シ、この舞台」と訴えた。
お見舞いに来た菅原さんは「岡田さん、無理のない範囲でできるお芝居を今考えてますから」と伝えたが、岡田さんは「無理のない範囲内でと言われても、無理しますよ。無理がなくちゃだめじゃないですか」と返した。
入院から1カ月ほどで退院し、郁子さんを施設に預けたまま自身が介護を受ける立場となった。
ケアマネージャーの大原由照さんは「後遺症として残っているのが、左側が見えにくかったり、注意力が欠ける障害。デイサービスに週に1回でも行ってもらって、運動する機会を」と提案した。岡田さんは「デイサービスに行くと必ずね、もう死期が近いんですよ」と応じた。
2023年、郁子さんがこの世を去った。岡田さんは郁子さんの遺影に「郁ちゃん。今の顔の方がいいが。あの時にけんかをしたのを映してくれたよ。ありがとう言うて」と話しかける。そして「信じられない。もう頭が真っ白。感情というものがなかったね。本当いうたら、寂しさと、感動で泣くんだけど、その気持ちもない。ただ真っ白だった」と当時の心境を語った。
岡田さんと郁子さんに子どもはなく、これまで夫婦2人で70年近く暮らしてきた。1人になった岡田さんの老いは、さらに深まる。
2024年7月、公演の1カ月前に胆管炎で倒れ、降板となった。老いは「生きがい」までも奪い始めた。
退院後、入居したのは高齢者住宅だった。もう1人では自宅で暮らすことができなくなった。1人で用を足すことも、ご飯をつくることも。できることが次々と、砂のようにこぼれ落ちていく。
2024年11月、菅原さんが岡田さんのもとを訪れた。
「なんで一切来なかったんよ」(岡田さん)
「ごめんなさい。ちょっとバタバタして、忙しくて申し訳ない」(菅原さん)
「それは分かるけどね。降ろされたと思った。それを素直に受けるべきだと思った。一生懸命に考えて。捨てられるのがいいと。そしたらきっちり諦めがつく。だけどもね舞台は出たい。いや下手なのに。資格はないんよ」(岡田さん)
「新作に向けて、僕が台本を書きますので」(菅原さん)

