◆21歳で突きつけられた「認知」という現実
晴さんが自身の出生の全容を知ったのは、成人してからのことだった。母親から「これから父親に会うから(晴さんから)認知の話をしなさい」と告げられ、初めて自分が法的に「認知されていない」存在であることを知る。
「その日の夜に父と会ったが、不思議なことにその時にどういう話をしたか記憶がすっぽり抜けている。父親からの返答は日記に記載があって、その当時『忙しいから、もうちょっと返答は後にしてくれ』と言って、結局それから音沙汰もなかった。母はその時からもう諦めモードになっていた」。
母の他界後、遺されたノートには、父との出会いや葛藤の記録とともに、晴さんの身ごもりが判明した時の苦悩が綴られていた。それを読んだ晴さんは、さらなるショックを受ける。
「このノートをもらった時は『私が望まれない子だったんだ』というところに、すごくショックが大きかった。父親に認知されていないショックはそこまで大きくなかった。それよりも母が不憫だった」。
母の死後、晴さんは連絡先を辿って、父が別の家族と住む東京の自宅まで行ったことがある。いきなり訪ねることもできたが、晴さんは別の家族もいることに配慮し、代わりに友人に呼び鈴を押してもらい、話をしてもらった。ただ、その呼びかけに誰も対応はしてもらえず、父とはそれからも連絡は取れていない。
◆癒えない傷と社会への眼差し
