「まさに地獄」最前線で命と向き合った警察官らのあの日…「おじいさんか、女子中学生か」助ける人を選ばなければならない葛藤。宮城県内では14人が殉職 東日本大震災

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■「まさに地獄」錯綜する情報と県警トップの苦悩

竹内直人氏
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 「目の前に住民が残っている限り、逃げることはなかった。本部長として誇りに思うが、全国の警察の後輩には、管理者はそういうことではいけないと話をしている」そう語るのは、東日本大震災当時の宮城県警本部長・竹内直人氏。あの日の記憶と教訓を伝えている。

「幸か不幸か、あの時の宮城県警本部長は私しかいないので、還元というのもおこがましいが、自分にやれることがもうちょっとあるかもしれない」(竹内氏、以下同)

 戦後最大の自然災害に直面し、あの時何を思ったのか…。2011年3月11日午後2時46分、竹内氏がいた県警の庁舎も激しい揺れに襲われた。午後2時49分、「大津波警報」発令。午後3時15分ごろ、気仙沼市に津波が到達した。

 午後3時半、県庁で1回目の災害対策本部会議が開かれた。県警のトップとして、頭指揮を執った竹内氏。

「『何時何分に大きな波が来た』『南三陸署の3階まで水没した』そういう話は次から次に入ってくる。一番印象的だったのは、気仙沼市が火の海になった。油のタンクが津波でやられて、そこに火がついて、鹿折地区だが、紅蓮の炎で燃えている。そういう映像を見ると本当に言葉もない、まさにこれは地獄」

  県警には通報が相次ぎ、現場の警察官からの無線情報も錯綜した。当時の様子が、会議の議事録から見えてくる。「確認が追いつかない状況」「警察無線もなかなか通じないので詳細不明」「溺死体が200から300、詳細確認中」。

「混沌としている、断片的な話しかない。『これ本当か』と聞いたら『現場の警察官からの連絡』という触れ込みだった。誤報だったのだが…」

  警察署も被災し、現場が混乱を極める中、徐々に被害が明らかになる。多くの犠牲者が想定される中、自らの手帳にこう書き残した。「1万人地獄 これから本番 現場はもっと辛い」。

 竹内氏は地震から3週間後、石巻市を視察。「西側の所から約20メートルの水面に浮かんでたのを自衛隊の方々が発見してきた」「だいぶ水が引いてきたので、ご遺体は既に収容して」と報告を受ける。この日、行方不明になっていた警察官が遺体で見つかった。

 県内では、14人の警察官が避難誘導中に津波に巻き込まれるなどして殉職した。このうち2人が行方不明のままだった。

「あなた方は警察官として治安維持という崇高な責務を有する一方で、それぞれに愛し守るべき家族があり、将来の夢や希望があったもの存じます。それらのすべてを残し、人生の半ばにしてこの世を去らねばならなくなったあなた方の無念さを思う時、また、かけがえのないあなた方を突然失ったご遺族の皆様方のご心痛を思う時、胸が張り裂けんばかりの悔しさがこみ上げてまいります」(竹内氏の弔辞)

 2011年5月、臨時警察署長会議が開かれ、黙祷が捧げられた。竹内氏が呼びかける。「(行方不明者が)簡単に見つからなくなっている今、これからがまさに正念場。県警察としては、とにかく徹底的に捜す。捜しつくしたと言えるまで捜す」。

「なぜもっと早く“退避しろ”と言えなかったのか」苦渋の決断
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