■「後ろに1000体待っています」限界を超えた検視現場
時間の経過とともに、警察活動は救助から捜索に変わっていった。増え続ける犠牲者。新たな問題に直面していた。
2011年3月20日。災害対策本部で宮城県警本部長の竹内氏は、利府町にある県総合体育館を遺体安置所として使用することを知事に要請した。
「ご遺体の収容等の状況ですが、お手元のペーパーにございますように、昨日午後9時段階で4882人。1万5000人分以上は保管できる能力が必要ではないかと考えております」
体育館には連日、多くの遺体が運ばれてきた。
捜査一課長だった阿部英明氏は当時、検視業務を指揮していた。異動の内示を受け、あの日はデスクの整理をしていた。3月11日が一課長として最後の日になるはずだった。「一瞬、『背負っちまったかな…』という気持ちはあった。正直なところ」(阿部氏、以下同)
阿部氏はすぐに、13人1組の検視班を13班編成。全国から応援で集まった警察官も加わり、最大700人以上が検視にあたった。
「検視している場所に自分の母親が運ばれてきた、そういう捜査員もいた。当時、現場は無我夢中でやっていたと思う。もう休む暇もなく、次から次という感じで」
県内で、最大26カ所に及んだ遺体安置所。地震から1カ月でおよそ8000人が運び込まれた。
「開始して3〜4日後くらいに責任者に『進捗状況どうだ』と聞いたら、『目一杯頑張っていますけど、後ろに1000体待っています』という言葉がいまだに記憶として残っている」
現場では、遺体を収納する袋などの資機材や死因を特定する医師、歯の記録で身元を確認する歯科医師が不足していた。自治体との連携にも課題が…。遺体安置所を事前に確保することや身元確認や引き渡し業務について、平常時から協議することが大切だと話す。
「南海トラフ地震は東日本大震災に比べたら、とんでもなく大きい被害になる。対応できるのかどうかという疑問さえ出てくる」
2024年7月、竹内氏ら警察OBはNPO法人「災害時警友活動支援ネットワーク」を設立した。大規模な災害が発生した時に、震災を経験した警察OBを現地に派遣し、支援する方法を模索している。
「命よりも大切なものはありません。警察官といえども殉職者を出してはならないことが最も重要で悲しい第一の教訓でした」(佐藤氏)
「知らないことは想像できない、知識がないことについては想像力が及ばない。『そんなことまで起こるの』というのを頭の片隅に置いていただくと、それをもとに想像を広げて準備することができる」(竹内氏)
東日本大震災から15年。命の最前線で活動した警察官たち。教訓をつなぎ、次の災害と向き合う力に──。
(東日本放送制作 テレメンタリー『“3.11”を忘れない94 警察官の3.11』より)
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