■「なぜもっと早く“退避しろ”と言えなかったのか」苦渋の決断
当時、気仙沼警察署の署長だった佐藤宏樹氏は、駐在所に勤務していた2人の部下を失った。あの日、署員に住民への避難誘導をした後、高台に逃げるよう指示した。
「『ご遺体発見』の第1報で目の前が真っ白になり、なぜこんなことになったのかということで胸がいっぱいになってしまった。優秀な戦友を2人も失ってしまったことに関しては、今でも悲しみが癒えることはない。なぜもっと早く『退避しろ』と言えなかったのか」
仲間を失った深い悲しみ。あの日、佐藤氏には署長としての苦渋の決断があった。
「この辺がちょうど(気仙沼警察署)旧庁舎の正面出入口だった。津波火災がすぐそこまで及んでいた。そこに大川という大きな川があるが、その川を挟んで向こう側は全部、津波火災で焼失してしまっていた」(佐藤氏、以下同)
警察署は、市街地を流れる「大川」から300メートルほどの場所にあった。津波で、拳銃や無線機が流出するのを恐れた佐藤氏。署員9人に対し、「決死隊」として重要装備品を庁舎の3階に運ぶよう指示した。
迫り来る津波と火災。決死隊は逃げ遅れた住民およそ20人を救助し、3階へ。幸いにも津波は庁舎1階の天井付近で止まった。もし津波が3階を越えていたら、署員は全滅していたかもしれない。
「その指示が正しかったのかは、今でも悩みに悩んでいて。13年経った今でも、夢にまで出てきて大汗をかいている。ベストな判断が難しかった。だけど、ベターな判断にしようと言い聞かせて、よりまともなものは何なのか、よりましなものは何なのかを考えながら指揮・指導をしていた」
「おじいさんか、女子中学生か」助ける人を選ばなければならない葛藤
