「なんで政治についての議論が100万回も回らなきゃいけない?」ゲンロン創業者の東浩紀氏が語るネット言論の変質と課題、そして可能性

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平石氏 東さんをはじめ、番組で深みのある議論をしようとした時に、欠かせない人っていますよね。一般の方ももちろんですが、こうした方たちに出演してもらうことも、言論という行為を豊かにするという意味において、必要だと私は思います。一方で、何か意見をいうと、エッジが立った部分だけが切り取られて、いってみればそれが”番組の意見”だと思われてしまう。議論のためにあえて反対側の視点をいうと、「お前はそう思っているのか」と。そうした中で、わざわざリスクを取って出てくる人が減ってきていると思うんです。そして、言論空間がやせ細っていないかと。

東氏 とても良くないことだと思います。色々な立場・意見の人をまとめて、こっちも分かるけど、あっちも分かるみたいなタイプの言論人が、増えるといいと思います。僕はそういう立場を崩さないので、両方からすごく叩かれる。最近だと「極中道批判」みたいなものがあって、真ん中でも叩かれます。右でも叩かれ、左でも叩かれ、真ん中でも叩かれる。しかし、それでどうするんでしょう。社会を作るってことは、とにかくいろいろな人がいるけど「まあまあ、仲良くやっていこうぜ」ということだと思います。

平石氏 言論の場がやせ細っているのであれば、これは正さなきゃいけないと思っています。視聴者数を増やすとか、ただ見てもらえばいいという基準ももちろんあります。だから私は煽る時は煽るという覚悟を持ってやっています。だけど、そうした形の番組について、東さんにあまり意味がないと思われているならば、直すべきところは直さなきゃいけないことだと思っているんです。

東氏 最近、僕が思っているのは、ゲンロンという会社を作り、16年もできたことは立派だったけど、僕が活動停止した後も続くようになった時に、さらにその意味は大きくなるということです。

 ゲンロンは単なる会社じゃくて、ひとつの「プロジェクト」なんですよね。資本主義の中で、国家の補助金などに頼らず、ある種のマーケットの隙間みたいなところを縫って、人文知みたいなもの、というか、言論の場を作るというプロジェクト。あまりスケールも求めないけど、かといってそんなにマニアックなものでもなく、関係者の生活も支えつつ良識の場をつくる試みなんです。

 つまり、この資本主義の荒々しい世界の中に、どうやって良識と常識の場を作るかみたいなことをやっているわけですが、それが僕1人のコントロールでバランスが成立しているのではまだ不十分です。やり方として、次の世代に渡されていくと、初めてプロジェクトとして完成すると思っています。つまり僕がやっていることが、死んだ後にも残っているといいなと思います。

 作品を作る人は、みんなそういう気持ちなんじゃないですかね。自分の作った映画が自分の死後も残るみたいなやつです。この映画が売れてほしいけど、ずっと残って、見てほしい、みたいな気持ちですね。長く続くことは、僕は大切だと思っています。瞬間風速ですごく輝いた番組とか、輝いたメディアはファッションとしてはいいですが、それが長く続くかどうかに関心があります。

平石氏 ベストセラーよりロングセラーだと。

東氏 本当に世の中を変えるのは、どちらかといえばロングセラーですよ。ベストセラーは、瞬間風速で忘れられていきますからね。
ABEMA『ふたりぼっちのアベプラ』より)

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