レゾバティール法律事務所の阪口采香弁護士は、再審請求から最高裁が再審開始を決定するまでの25年を「長すぎる。いろいろとおかしいところがある中で、検察も何を抗告することがあるのか。検察側は再審請求ではなく、再審がされたことを作りたくないだけなのではないか。」と指摘し、「(検察は)そもそも再審を開始されたくない。そこに重きを置いているようにしか見えず、抗告などしないで、さっさと再審を開始してほしい」と語った。
冤罪被害者を支援する活動に取り組むフリーアナウンサーの古舘伊知郎は「難しい言葉で“無謬性”(絶対に間違わないこと)という。検察が権威を持たないといけないのはわかる。だが、権威を持とうとしたときに、簡単に言えば無謬性、『我々は間違わないんだ』というところに立つ。正反対の言葉に“誤謬性”があり、人間は必ず間違える。そう言っている私も間違えだらけだろう。検察も同じ人間で、『人間に立ち返れば、無謬性などあり得ない』と少しでも思ってくれれば、権威だって薄まってきて、こんなに人の長い人生を何十年も奪わない。しかし、それ(無謬性)を検察は貫く」といった問題点を示す。
これに阪口弁護士は「間違えて認めたくない。もしくは間違いだと思ってない可能性もある。間違えていないから、再審されたこと自体がもう嫌だ」と指摘する。
一方で古舘氏は「この場合は、客観事実としてストーリーを作って、そして証拠をやらせで作った。ねつ造とか、やらせで証拠作りをした。金庫が捨てられているところで、時系列変えて写真を組み合わせて、『本人しか知らない秘密の暴露』、やった犯人しかわからないところまで、弘さんはちゃんとわかっていた人だと、ストーリーを作った。そんなこと言っていない、やってもいないのに。そんな証拠作りをしているのはダメだ」と指摘する。
これに阪口弁護士は「私もダメだと思うが、検察の発想としては『この人が犯人で、その上で証拠をちょっと変えたけれども、この人が犯人だから、こういう証拠が出てきてもいいよね』という発想でやっていると思う」と返す。「ただ、言われた人や、私たち弁護士の立場としては、『やっていないから証拠が出るわけがない』。『最初に見立てたのが間違いだった』と、早く検察が認めて、自分ではない方向にかじを切らないと真犯人も逃す。それは検察側の傲慢(ごうまん)だ」。
(『ABEMA的ニュースショー』より)
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