なぜ若者は「学ばない」という自己防衛をするのか?哲学者・内田樹が語る“学びを起動”する教育論

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■豊かな社会とコモン

平石氏 内田さんの考える豊かな社会について、教えてください。

内田氏 個人資産が貧しくても、豊かな公共財がある共同体に属していればですね、それは豊かな社会と言えると思います。今の日本はどんどん公共財が痩せ細っています。公共財はたたき売られ、どんどん私有財産になってしまっている。それまでは公共財としてみんなが利用できたものが、民間に移管されたことで「お金払って使ってください」となり、個人資産がない人はアクセスできなくなる。

 少し話はずれますが、神戸市も中学校の部活が全部廃止になり、アウトソーシングになりました。部活はもうないので、やりたい人は「どこか教えてくれる人のところに行って、習ってください」となりました。たとえば野球をするなら、部活には全部道具がある。貧乏な家の子どもだって、多少の自己負担はあるかもしれないけれどユニフォーム、グラブもバックもボールも、みんな供給してくれる。吹奏楽部なんか、すごく高額の楽器も貸してもらえるし、ピアノも弾けるわけじゃないですか。

 個人資産で出すにはあまりに高額だけれど、部活がそれを提供して、それによっていろいろな人たちが、自己責任ではできないような文化的活動にアクセスできる。本当に貧しくて楽器も買えない子どもが部活で楽器をやったら、全体音感があってめちゃくちゃうまくて、音楽の先生がびっくりして「音楽家になったら」「音大に行ったら」なんていうこともある。絵を描くことも同じですよね。

 部活は、子どもたちが持っている潜在的な可能性の中で、自己責任や自分の家の中でやっている限り発見されなかったかもしれないような才能を発見して、取りこぼしがないようにするもの。国民が持っているリソースの取りこぼしをしないという働きが本来の部活の目的だったはずなのに、ある時期から勝利至上主義になってしまい、部活の先生たちが過酷な労働や時間外労働を強いられて、バーンアウトしてしまったから、結局全部やめてしまおうとなってしまいました。

 うちの合気道も、お金がなくても受け入れたいんですが「お金は取ってくれ」と神戸市から言われるんですよね。そうすると「道着を自前で買って」「月謝は払って」となれば、無理だという子たちも出てくるかも知れない。全てアウトソーシングにしてしまうと、どんなに才能があっても、気づかずに終わってしまうかもしれないので、そのロスを考えると、部活のアウトソーシングも本当にやっていいのかなという気がしますね。

■若者が口にする「居場所がない」の本当の意味
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