なぜ若者は「学ばない」という自己防衛をするのか?哲学者・内田樹が語る“学びを起動”する教育論

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■「教える」ではなく「学びを起動する」

平石直之(以下、平石氏) 学生たちに対して「教育する」という他動詞で向き合わないということですが、どういうことですか?

内田樹(以下、内田氏) 若い頃は一生懸命に教えていたんです。でもそれだと、うまくいかなかったんです。こちらがいくら働きかけても、働きかけるだけでは向こうにちっとも染み込んでいかない。まずは心を開いてもらい、学びへの欲求が起動する状態を作ってしまえば、あとは何もしなくても大丈夫だとわかりました。途中からは「教える」をやめて、どうやって学生たちの「学びが起動」するかに切り替えました。

 「学ばない」というのは自己防衛なんですよ。すごく頑なに、鎧兜をまとっている。新しいものを獲得するためには一回、自己防衛を解除して、無防備で柔らかい状態にならないと、新しいものが入ってこないし、変化もできない。子どもの時期に成長しようと思って鎧兜を外したのに、何かに深く傷つけられて、また自己防衛するようになった子たちがすごく多い。だから、18歳でもうカチカチにディフェンスを固めて「大人の話を聞くまい。先生というものを信用しない」と、非常に防衛的なマインドセットの子たちがたくさんいます。この子たちに向かって、頭ごなしにあれこれ言ってもしょうがないな。「ここは鎧兜を脱いでも平気だよ。ここだったら無防備になっても、脇が甘くなっても大丈夫だよ」という、安全な環境を作ってあげるんです。

 やはり生き物だから変化して、成長したいという気持ちはすごくある。若い人たちはすごく変化がしたい、成長したいという強い命の衝動があります。ぼーっと何もせず、遠くから見ていて「大丈夫。平気だよ」と言っていれば、そのうちみんな鎧兜を脱ぎ出すし、こちらの話がスッと通るようになる。そうなれば読みたい本があれば貸すし、会いたい人がいたら紹介し、向こうが求めてくるものをこちらが提供するだけの、ものすごく楽な教育活動になります。それを僕は「成熟を支援する」という言い方にしています。

 いくら自己防衛を解除しても傷つけられない、そういう環境を確保してあげるには、結構時間もかかります。1日や2日で簡単に武装解除はしてくれない。うっかりすると半年や1年、ずっと待っていないといけない。教師に必要な資質は、とにかく忍耐力と楽観であるというのが僕の持論です。

平石氏 内田さんは教育者であり、武道家でもあります。この2つに関連性はありますか?

内田氏 大学の場合、ある程度は学歴の均質な集団ですが、道場には子どもから老人までいる。運動能力の高い人も低い人もいる。その人たちに、同じことをずっと教えています。昨日入った人も、30年やっている人も同じことをします。だけど、学ぶことは全員が違うんです。そう考えるとカリキュラムを作るとか、シラバスを書くとか、本当にナンセンスだと思いますよね。

 同じことを教えていても、これだけ違うことを学び、みんな多様な成長を遂げていく。一人ひとり全部、成長の仕方が違う。すっと伸びていって、長いプラトー(停滞期)がある人もいるし、なかなか伸びないけど、ある日突然とんでもなく大化けする人もいるんです。

■学ぶことは「別人になること」
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