生々しい副作用…痛みに耐え、差し出した握手「ステージが一番、最高」
山川の姿を、ファンは心待ちにしていた。「デビュー当時からです。もうショックでした。でも、きっと治るだろうなと」「びっくりが第1印象です。でも絶対乗り越える方です」。
しかし、乗り越える壁は、お客さんには見えない。「撮っても大丈夫ですか?」と声をかけるスタッフに、「大丈夫、治った方ですよ」と副作用でたくさんの湿疹が出ている足を見せる山川。山川と隼也さんは「一番最初、抗がん剤やった時、足に全部。すごかった」と返す。
「黒いのはステロイド。塗り薬が強すぎて黒くなっちゃう」「出ない人もいるらしいんだよね」「2回抗がん剤を中止していて、1週間。その時はすごくひどくて、おしりの方がうんじゃって、よく座るので治らなくて全然。結構大変で」「抗生物質飲んだら、引いて、また出てくる」と説明する。
薬の副作用なのか、髪の生え方にも変化が出てきた。セットしながら「ぺったんこにしないで。跳ねてるでしょ」と話す。
痛みという心の葛藤の全てを「山川豊」という衣装で覆い隠し、お客さんの前に向かう。
会場では、後輩の松阪ゆうきのステージが、すでに始まっていた。そして、ステージに立った山川がこの日の1曲目に選んだのは、デビュー曲「函館本線」。45年間ともに歩んできた代表曲だ。
子どもの頃、父の曲を全く聴かなかった隼也さんが、初めて父の歌声に触れたのは、アメリカ留学の時だったという。「アメリカ留学1年していた時に、ホームシックになって、なぜか父の曲を聴いた時に、初めて『うちの父親はすごい人なんだな』と思った。そこで歌の上手さだけじゃなく、ちゃんと心が温かくなるような人なんだな、みたいな」。
30分歌い、しばし休憩。2人だけで次のステージの準備に追われる。ここでも手の状態を確かめる姿が。痛みがひどいのだろうか。
休憩が終わり、再びステージに上がる。すると客席に降り、ファンと握手をし始めた。痛みがないはずは、ない。でも、これが山川の答えだった。「ステージにこうやって上がって、皆さんの前で歌えるという喜びを、日に日に感じている今日この頃でございまして」。ファンからの「ありがとう」の声に、「こちらこそありがとうございます」と返すと、会場内は拍手に包まれた。
終演後、山川は「ありがとうございました。病気のことは全然忘れていましたね。やっぱりステージが一番、最高」とつぶやいた。
そして生まれた“新たな命”
