未解決25年“歌舞伎町ビル火災”の謎…当時の消防隊員が振り返る“壮絶な現場”「俺のことも助けてくれ」「こんな現場があるのかと思った」

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溶鉱炉のような階段と「俺のことも助けてくれ」現場の惨状

 だが、この時すでにビルの中では逃げ道がふさがれていた。隊員たちが2階の階段に差し掛かったとき、最初の違和感がくる。階段にはコインロッカーやカラーボックス、ゴミ袋が積み上げられ、階段の体は成していなかった。

「何で階段にこんなものがあるんだろうなと、思いながら活動しているので」(川越氏)

 階段の幅はおよそ70センチで、人が通れる隙間は30センチあるかないか。川越氏たちはロッカーにぶつかりながら、隙間を縫って上がった。その置き物が激しく燃えていた。階段は溶鉱炉のような状態で防火衣を通しても熱を感じ、隊員たちに水をかけないと熱で倒れてしまうほどだった。2階から3階に上がり切るのに15分かかった。

 午前1時25分ごろ3階へ進入。たどり着いたのは3階の麻雀ゲーム店だった。同じく救助にあたっていた新宿1部特別救助隊3番員(当時)の新谷昭洋氏は、通路部分に3、4人倒れていることを確認した。指揮本部から「何人いるんだ?」と無線が入る。奥を見に行った平井氏はそこで足を止めた。

「初めて見る光景だったので『新谷、来い』と。要救助者を助けるというよりも『新谷、俺のことも助けてくれよ』と。そういう気持ちで新谷係長を呼んだ覚えがあります」(平井氏)

 助ける側が助けを求める、壮絶な現場だった。新谷氏はその声に従い奥を確認した。厨房部分に10人近くが山積みになっていた。人1人がやっと通れるほどの排煙窓のほうを向いていた。新谷氏は目を疑った。

「こんな現場があるのかと、率直に思いました」(新谷氏)

 川越氏は25年経った今もその光景を鮮明に覚えていた。

「厨房の地面、床に這いつくばって息を吸おうとしている様子だとか、排煙用の窓から逃げようとした様子のまま亡くなっているというような感じで。今にも動きそうな状態で、皆さん亡くなっている」(川越氏)

 しかし隊員たちは亡くなっているとは思っておらず、一刻も早く助けようとモチベーションを高めた。1人目の被害者を川越氏は呼吸器をはずし、背負って階段を下りた。しかしそれ以降は、声をかけても返事はなかった。

「やっているうちに全く反応がないということで、絶望感というかですね。だんだん気力、体力の面でやられてしまったなと」(川越氏)

限界を迎えた隊員たち…静まり返った4階で鳴り続ける携帯電話
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