「基地反対では飯は食えない」“赤壁の戦い”沖縄県知事選、事実上の終焉「オール沖縄」衰退の深層

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「オール沖縄」圧勝も…徐々に離脱

 2013年12月、当時の仲井真弘多知事が、辺野古の埋め立てを承認。これに反対したのが、那覇市長だった翁長雄志氏だった。翁長氏は自民党県連の幹事長まで務めた“保守の人”だったが、「イデオロギーよりアイデンティティー」の旗のもと、それまで争ってきた保守と革新、そして経済界が集った。

 翁長氏は「辺野古阻止のためなら、ほかは腹八分、腹四分、場合によっては腹四分でも折り合う」と説いた。その結果、自民党に除名されてまで加わった那覇市議の保守議員や、長く保守と争ってきた社民・共産・沖縄社会大衆党、そして経済界から金秀グループ・かりゆしグループが集い、のちに「オール沖縄」と呼ばれる一大勢力に。そして2014年11月の知事選で、翁長氏は現職の仲井真氏に10万票近い差を付け、36万票あまりで当選。暮れの衆院選でも、4つの選挙区を制した。

 オール沖縄を結んでいたのは「辺野古に反対する」ということ。しかし、同じ舟に乗りながらも行き先はそれぞれ違っていた。呉越同舟、同床異夢の状態だった。

 しかし2018年2月、辺野古のある名護市長選で、オール沖縄が推す現職・稲嶺進氏が落選。金秀グループの呉屋守將会長が、その責任を取ってオール沖縄会議の共同代表を退いた。「なあなあでだらだら続いているようでは、県民の意向に沿った組織として、その任に耐えられない」という趣旨だった。その後の4月には、かりゆしグループも、政党の色が強くなりすぎたと離脱する。

「基地反対」だけでは難しい状況に
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