■葛藤の始まりとアウシュビッツで得た転機
小学6年生の頃の濱口瑛士くんは、学校には行っていなかった。ひとたび絵を描き始めると、食べることも寝ることさえ忘れてしまう。1日に100枚描くこともあった。
「描いているとドンドンわきあがってくるような、その欲求通りにひたすら描く感じです」(瑛士くん)
緻密なタッチで描かれる空想の世界。ただその絵には、決して人は登場しない。
実は瑛士くん、小学校でいじめを受けていた。「教室行きたくないよ、嫌なこと多いんだよ、教室」(瑛士くん)
友だちは一人もいなかった。母親が「行きなさいよ」と言っても、瑛士くんは行きたくないと拒んでいた。
自閉スペクトラム症の瑛士くんは、コミュニケーションというものがよく分からない。自然に身につくはずの常識もクリニックでひとつずつ覚える。
療育士「他の人のお家に行ったときは?」
瑛士くん「楽にしててって言われて、楽にし過ぎたことがあった」
療育士「どうしたの?」
瑛士くん「寝てた」
療育士「寝たの?」
瑛士くん「寝た」「楽にしててって言われたから楽にしようと思った」
療育士「足を崩してもいいよ、とかそういうことだよね」
そんな瑛士さんを変えたのが『ROCKET』だった。「例えば潤樹くんは動物を飼うことがこの1年間でどれくらい突き抜けられたか。濱口くんは絵を描くことがどれくらい突き抜けられたか」(中邑先生)
ここでは常に「突き抜けたかどうか」が問われる。
北海道で馬を乗りこなして鹿の角を探す。高知県の限界集落で“幻のお茶”作りに挑む。知らない世界に触れ内面を深める。そんな学びの場があった。
そして2016年、海外研修で訪れたある場所が瑛士くんの絵に転機をもたらす。ナチス・ドイツによる大虐殺の地「アウシュビッツ」。数々の遺品、囚人を餓死させた牢獄。そこで囚人の身代わりとなった神父の話を聞いた。
「コルベ神父が『自分が身代わりになる』と、一番恐ろしい餓死刑に進んで名乗り出た」(ガイド)
研修を終えた瑛士くんに変化が現れた。「人間とはどんな存在なのかを強く考えたので、それを表す方法は人間を描くことだけかないと思いました」。
遠ざけてきた「人間」と向き合おうと思ったのだ。表したのは人間の残酷さ。そして人間の良心。人があわせ持つ二つの顔だった。
人を描くことで一歩踏み出した瑛士くん。苦手だった人前にも出ていくようになった。「異才」の少年画家として、絵画展をはじめ活躍の場を広げていく。
しかし、そんな変化が瑛士くんの描く絵そのものを変えてしまうことになる。
曽祖父の「自決」の真相
