あの元横綱・朝青龍と2人で1997年にモンゴルから来日。奔放な朝青龍を支えた親友でもある元関脇・朝赤龍が引退し、その「断髪式(朝赤龍引退・錦島襲名披露大相撲)」が4日、国技館で行われた。
 16歳でモンゴルから日本に来た朝赤龍は、朝青龍より1年遅れで同じ高砂部屋(当時は若松部屋)に入門。順調に昇進するも、足の大怪我により思うような相撲が取れなくなった矢先、朝青龍が突然に引退してしまう。
 責任感が強くてまじめな朝赤龍は、130年以上続く部屋の関取を絶やしてはならないと、万全な身体では決してない中でコツコツ相撲を取り、関取で居続けた。その姿にお父さん族は「まるで上司と部下はさまれて頑張る、会社の中間管理職のよう」と我が身を重ねて涙し、通な好角家たちは粘り強く、決してあきらめない相撲に感動した。また、常にサインや写真を断らない姿には子どもやお年寄りからも人気があった。つまり、誰からも愛されるのが朝赤龍だった。決して派手な存在ではない。でも、気は優しくて力持ち。彼こそ、おすもうさんらしい、おすもうさんだった。