阪神の能見篤史投手(39)が、今年で100回目を迎えた全国高校野球選手権大会について、鳥取城北時代には一度も叶わなかった甲子園出場に「一度行ってみたかった」と当時の思いを明かした。
日本プロ野球選手会では、「高校野球100回記念大会応援企画『高校野球は僕らの原点だ』」を実施しており、母校のユニフォームを着た選手たちの高校球児への応援メッセージを、日本プロ野球選手会の公式YouTubeやInstagramなどで公開している。8月11日には、横浜DeNA対阪神16回戦のAbemaTVによる中継内でも、能見のメッセージが公開された。
高校野球について聞かれると「3年間しか得ることができないものだったなと思います。(鳥取城北は)他の県からの人たちも多くて、個々の能力としては、力を持った選手が集まっていた。僕らの時は毎年優勝候補だった」と振り返った。だが、一発勝負のトーナメントなのが高校野球の厳しさ。3年時の夏は「勝つというのはすごく難しくて。僕が少しけがをしていて、腰があまりよくなくて、2回戦で早々に負けてしまいました。自分の力も発揮できなかったですし、応援団の方々も力を入れていたので、非常に申し訳なかったですね」と、ほろ苦い思い出を語った。
高校卒業後、大阪ガスを経て、阪神に入団。2005年には甲子園デビューを果たし、その後は何度もマウンドに上がることになった能見だが、やはり高校時代に出る“甲子園”は別物だ。「甲子園っていうのは一度行ってみたかったというのはあるんですけど、チャンスは本当にあったので、一度は(グラウンドに)立ってみたかった」と、当時の憧れを呼び覚ましていた。
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