
元プロ野球・広澤克実氏(56)が、「血を吐いても野球をプレーし続けた」という野球殿堂入りの人物に言及。アメリカから持ち込まれた「ベースボール」を、日本における「野球」として普及させた功績に改めて敬意を表した。
10月21日にAbemaTVで放送された六大学野球秋季リーグに解説として出演した広澤氏は、明治大学4年生の村上貴哉選手が「正岡子規が学校の先輩にいることが自慢」としたことを受けて野球雑学を披露した。
村上選手の出身校は、愛媛県有数の進学校である松山東高校(旧制松山中学)。この学校の先輩には、明治文学の有名な俳人・歌人である正岡子規(中退後に上京し、現・開成高校に入学)がいる。

正岡子規は、東京大学予備門時代にベースボールを知り、熱中。その後、郷里にバットとボールを持ち帰って母校の学生らに指導をした。自身の著「筆まかせ抄」の雅号の項に「野球」が初めて見られ、幼名「升」から(のぼーる)と読ませている。日本新聞社に入社すると「日本」紙上において野球のルールや用具などについて解説。野球を詠んだ短歌や俳句なども多数ある。後に結核を患い、喀血。「鳴いて血を吐く」といわれるホトトギスの漢字表記の異名「子規」を自身の雅号とした。
野球を愛した正岡子規は2002年、公益財団法人野球殿堂博物館が野球の普及に尽力した人物の功績を讃える「野球殿堂」に選ばれ、殿堂入りを果たしている。
そんな正岡子規について広澤氏は「ホトトギスは血を吐きながらでも、鳴きながら縄張りを守ろうとするんです。一方の正岡子規さんは、結核で血を吐いても、野球をプレーしていたそうです。そんな姿を重ね合わせて、雅号をホトトギスとしたんです。さらにフォアボールを四球、フライを飛球などと訳したのも正岡さん。現在でいう東京大学在学時の同級生に中馬庚(ちゅうま・かのえ)さんという方がいて、その方がベースボールを野球と訳した最初の人物。1894年のことです。この二人が、英語でしか入って来なかった用語を日本語に置き換えたんですね」と力説。
この力説を受けた実況の足立清紀アナウンサーは、「そうして名付けられたのが、松山にある坊っちゃんスタジアム。球速が速くなると噂されたりもしていますね」と話し、笑いを誘っていた。
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