天才棋士の大活躍などで大いに賑わった2020年の将棋界。その世界で“現役最強”と呼ばれ、頂点に立っているのが渡辺明名人(棋王、王将、36)だ。藤井聡太二冠(18)との棋聖戦では敗れ、最年少タイトル獲得の相手ということで注目を浴びる格好になったが、プロ生活20年目の節目で初の名人を獲得。タイトル獲得数も通算26期まで伸ばした。史上4人目の中学生棋士としてプロ入りした渡辺名人だが、少年時代はどんなものだったか。師匠・所司和晴七段(59)が、番組企画で当時の印象やエピソードなどを披露した。
渡辺名人の少年時代が明かされたのは、ABEMAでの企画でのこと。プロ将棋界初の早指し団体戦「第3回AbemaTVトーナメント」で準優勝を果たしたチーム渡辺「所司一門」が集まるトーク企画の一環で渡辺名人、近藤誠也七段(24)、石井健太郎六段(28)が所司七段に質問をぶつけることになった。
まず思い出を語られたのは石井六段。所司一門としては最年少である幼稚園・年中の時に入門したが、大人相手に六枚落ち、八枚落ちで負け続け、泣く日々だった。そんな石井六段に所司七段は「将棋嫌いになるのはもったいない。また泣いちゃうと私も困っちゃうので、他のみんなと指さないように」と、しばらくは師匠自ら相手を務めていたという。
続いて近藤七段。小学1年生時に入門すると「いきなり最初から二枚落ちの手合。かなり強かった」という実力の持ち主だったという。また体型については「すごく体格がよかったですね。相撲をやっていたんですよね」と回想すると、近藤七段も「相撲大会とか結構好きでした」と付け加えた。その後は陸上部に入ったこともあってか、所司七段によると「奨励会に入ったころには、ちょっとヒョロヒョロになってきた」という。
トリに登場したのが渡辺名人。入門時点で小学生名人だったことから、やはりただ者ではない雰囲気を身に纏っていたようだ。「すごく強くて『自分は負けないんだ』というオーラをすごく感じました。実際に教室の中でもみんな勝っちゃう」と驚嘆した様子を思い起こすと、当時奨励会4級だった宮田敦史七段(39)だけが渡辺名人の“壁”になっていたとも語った。
幼稚園、小学校時代からプロ入りすれば40年、50年と戦い続ける将棋界。神の領域とも言える名人の座にたどり着く棋士ともなれば、やはり少年時代から輝きは別格のようだ。
(ABEMA/将棋チャンネルより)