近年、将棋の対局番組に大きな変化がもたらされた。AIによる形勢判断だ。ニコニコ生放送がAIによる「評価値」で形勢を明示したことに始まり、後にABEMAが独自の「SHOGI AI」を用いて、勝率(パーセント)式を採用。囲碁・将棋チャンネルでも同じく勝率表示が採用されると、テレビ放送としては実に50年近い歴史を誇る「NHK杯テレビ将棋トーナメント」でも、第71回大会から勝率が出るようになった。長く、局面については解説棋士と聞き手が大盤を使って伝えてきた中、急速に進化したAIを用いた対局番組は、どんな方向に進むのか。新規にAIを取り入れたNHK・Eテレ担当者、業界にAIの勝率表示を持ち込んだABEMAのSHOGI AI担当者に話を聞いた。
「勝率1%対99%からの大逆転」。将棋のニュースタイトルとして、数年前では考えられないものが、各メディアでも当たり前のように使われるようになった。プロデビュー以来、破竹の勢いで勝ち続ける藤井聡太王位・棋聖の活躍と時を同じくして、一気にその認知度を高めることになったAIによる勝率表示。業界初の機能として導入したABEMAのSHOGI AI開発責任者・藤崎智氏は、導入の経緯についてこう語る。
藤崎智(以下、藤崎) まず今の「AIの勝率表示」があるのはニコニコ生放送が「将棋とAI」という文化を作ってくれたのが非常に大きいと思います。この文化があったからこそ、その後のABEMAが「AIの勝率表示」をし、囲碁・将棋チャンネルも、そして今回のNHKも「AIの勝率表示」となりました。将棋の放送はすべてAI表示となったわけです。AIの表現方法は違えど、将棋文化を後世に残したいという気持ちは全社同じだと思っています。
ニコニコ生放送といえば、棋士対AI(ソフト)の対決が大注目となった「電王戦」、後にタイトル戦にもなった「叡王戦」を生み出した。さらには対局中に視聴者がコメントを書いたり、棋士・女流棋士が普段は見せない様子を出したりと、歴史ある将棋界にいくつもの画期的な企画を持ち込んだことで知られている。人によって人間同士の対局を伝えていたところにAIを採用したという意味では、やはりパイオニアだ。
NHKとして、このAIによる形勢判断を採用するに至った理由は、やはり「わかりやすさ」だ。新たなファンの開拓に、わかりやすさは欠かせない。歴史ある棋戦だからこそ、さらにここは重要な課題でもあった。
中澤俊哉 NHKエデュケーショナル統括プロデューサー(以下、中澤統括P) 今期からNHK杯トーナメントでは、囲碁と将棋トーナメント両方で勝率表示を導入しました。NHKの囲碁将棋番組は根強いファンに支持されていますが、一方で少々敷居が高い、そう思われているところもあります。公共メディアとしてはこれまで以上に幅広い年齢層に見て欲しい。必ずしも囲碁将棋ともルールに精通していない方々にも興味を持ってもらいたい、その入り口として、対局の形勢判断をわかりやすく伝えることが効果的だと考えました。
ABEMA、囲碁・将棋チャンネル、NHK。共通するのは「評価値」ではなく「勝率」にしたことだ。従来の評価値は、有利・優勢な側に「+100」「+500」というように数値が増え、数千にもなればほぼ逆転不可能な勝勢を意味する。ただ100、500、1000の差はいかほどのものなのか。ここをわかりやすくしたのが勝率だった。
藤崎 元来、評価値というのはありましたが、その数値が出ても実際にはどれくらいの状況なのかがわかりにくいというのがありました。例えば評価値が「1000」と出たとします。でもその1000が何に対しての1000なのかがわからないため、「1000ということは、戦況だとこれくらいなのかな」というのを各自が経験で「自分の予想」を脳内変換していました。将棋をある程度知っていて、AI(ソフト)を利用している人でないと、脳内変換をするのはかなり難しいと思います。そこでその脳内変換をAI側で行い、且つ、世の中で一番わかりやすい値を考えたときに「パーセント」で表示ということにしました。導入直後は「評価値の方がいい」という方が大半でしたが今では「パーセントがあるおかげで初心者でも将棋がよくわかるようになった」と好評頂いております。子供の頃からずっと見ていたNHKの番組で「AIの勝率表示」が採用されたことは感無量です。大げさに言うと「将棋400年の歴史に爪痕を残せた」という気持ちです。
中澤統括P 視聴者には「評価値」の考え方は少々、届きにくいと感じました。「評価値とは何か?」、説明にも時間を費やします。やはり、わかりやすく「最終的に『勝ち』『負け』はどうなるのか?」その興味に答えたいと思い、直感的に届きやすい数値を選択しました。NHKの囲碁将棋番組では、これまで「出来るだけ盤面に集中してごらんいただきたい」ということを、心がけてきた流れがあります。そこでまずは、シンプルに形勢のみを伝える方が、新規ファンの開拓とこれまでの視聴者層の双方の期待に応えると考えました。
勝率を表示することは、局面をわかりやすく伝えるだけでなく、多くの副産物もあった。ABEMAでは、対局時間が10時間を超えるようなものも放送している。視聴者は何度も見ては離脱するを繰り返し、指し手が進むのを待つことになるが、いつから視聴を始めてもストレスがなくなったと考えている。
藤崎 勝率表示をすることでまず大きく変わったことは「長時間でも放送が見られる」ことと「いつ見に来ても瞬時に状況がわかる」ことだと思います。将棋は15時間以上も対局することもあるわけで、見ている方もなかなか長時間集中力が持続できないことがあります。その時に勝率表示があることで長時間でも見られるようになったと思います。また、実はSHOGI AIが一番役に立っているのは生放送のスタッフですね。とにかく終局をいち早くわかることが生放送では大事で、SHOGI AIがない時はいつ終わるかわからないのでテロップを出す人、映像を切り替える人がずっと張り付いていなければいけないし、カメラマンやメイクさんも待機が続きました。SHOGI AIが始まってからは放送に心構えができるので安定した高品質な放送ができるようになりました。
NHKで放送している対局は、いわゆる「早指し戦」と呼ばれるもので、実際の対局時間は約1時間。長時間対局と比較すればはるかに短いが、逆に言えば一手ごとにどんどん変わる勝率は実にスリリングだ。また将棋において「神」の領域にいる棋士の指し手に、どういう意味があるのかを、スタッフが瞬時に理解するのも難しい。ここでAIの勝率があることで、たとえ将棋に対しての知識がそれほどない場合でも、楽しめることがわかった。
中澤統括P 収録前に解説者と打合せをしますが、「どこまで形勢判断に触れるかについては、あくまで、先生のAIに対する考え方を尊重する」旨をお伝えしています。先生によっては、ほとんど触れない方もいらっしゃいます。現段階では、視聴者に「参考」として受け止めていただければ充分なので、とりたててデメリットは感じていません。また演出スタッフのすべてが、囲碁将棋ルールに精通しているわけでもありません。AI形勢判断によって収録時に副調整室もたいへん盛り上がるようになりました(笑)。大きな推移のたびに「おお!」という声が、仕事を一瞬忘れて起こります。面白がってくれた大道具担当のスタッフさんからも、「囲碁将棋、勉強してみます」という声が上がりました。
AIによる勝率表示という形式は同じだが、ABEMA、囲碁・将棋チャンネルと、NHKとで大きな違いもある。「最善手」を表示するかどうかだ。2社は表示、NHKは非表示。ここにはそれぞれの思いがある。
中澤統括P 一視聴者として見ている時に盤面の進行を離れ、形勢バーの推移に気を取られる自分を感じます。本質である「“手談”を楽しむ」ことが薄れないか、そのことを自問しつつ、今後の演出を考えていきたいとも思っています。また、形勢が大きく開いた時に、視聴者に「最後まで興味を持って見ていただけるのだろうか?」と危惧していました。そのため番組では「この数値はAIが最後まで正確に指し(打った)場合の推測値です」といった説明をていねいにすることを心がけています。それも相まって、「興味がなくなる」といった声は今のところ届いてきていません。むしろ、「一手で状況が変化し、人間って面白い」といった反響や意見が寄せられています。AIと人間が合わせ鏡のようで面白く感じます。情報はシンプルに絞った形勢判断ということでスタートし、今後は視聴者の反響を受け止めつつ、検討していきたいと考えております。出演者の解説も含め「最善手予想」をそれぞれ、みなさんで楽しんでいただきたいと、今のところは考えております。
藤崎 NHKは将棋の他に囲碁の放送もあると思いますので、もしかしたら同じ演出にするために、まずは最善手の表示をしないのかなと思っています。放送を見ていても勝率を常時表示しないところも演出があるのだと思います。またABEMAと違い、長時間の生放送でないという点もあるかもしれませんね。ABEMAの場合、長時間の生放送ですから刻一刻と候補手が変化するのも見どころだと思います。
スポーツ中継で例えれば、野球では球速を表示するスピードガンが導入されたことは、実に画期的だった。ゴルフ、テニスであれば打ったボールの弾道や着地点がわかり、サッカーではリアルタイムでボールの保持率などが出るのも当たり前になった。長く「人力」だった将棋の対局放送に、新たな技術が次々と投入されたここ数年は、まさに革命が起きている真っ最中だと言ってもいい。この先、どんな未来を思い描いているのか。
中澤統括P 対局観戦のスポーツ的な見方の流れは加速していくと思いますが、囲碁将棋文化の伝統も大切にしていきたいと思います。たとえば、新たに興味を持っていただいた視聴者に、囲碁将棋を学んでいただくきっかけとして受け止めていただき、トーナメント以外のNHK囲碁将棋ゾーンで上達していただく…。そういった多角的、総合的なサイクルが生み出せたらと考えます。制作関係者間で形勢判断バーを見ていると、とにかく「会話が増える」ことを強く感じました。ご家庭でも、ちょっとしたコミュニケーションツールとなる可能性も感じました。とにかく、幅広い層に親しんでいただきたいです。現在のところ、AIは「なぜ、この勝率になるのか」「最善手の理由」などについて答えてくれません。個人的には、将来的にそういったAIの気持ちを語ってくれるインターフェースが生まれたら、楽しいだろうなあ…と思っております。
藤崎 まず将棋を知らない方にはSHOGI AIの勝率表示から入っていただき、将棋の面白さを感じてもらい、そこから将棋の動かし方やルールを学んで実際に将棋をやってもらえるとうれしいです。そして勝率表示で最善手を指さない時に「なぜ最善手を指さなかったのか」というのを考えて欲しいです。AIは正確無比に最善手を示しますが、人間は違います。棋士の指し方は個人個人あり、戦法があるわけです。なので「最善手を指さない=悪手」というのは一概に言えません。その手は罠なのか、AI超えなのか、相手に苦手な手を指しているのか、予想外の手を指したのか、などAIでは判断できない人間VS人間という対局をさらに面白く見るためのツールとして勝率表示を見てもらえると幸いです。
歴史に残る名局を、よりわかりやすく、より深く感じるために導入されたAIの勝率表示。技術を進化させ、感動をさらに大きくするために、これからもその努力や工夫は続いていく。