ヨーロッパではUEFAチャンピオンズリーグに次ぐ歴史と権威を持つUEFAヨーロッパリーグ。偉大な大会で2人の日本人が王者に輝くという偉業を成し遂げた。
ドイツ・ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトといえば、もはやクラブのレジェンドになっている元日本代表のキャプテン・長谷部誠がいるのはご存じだろう。もう一人が屈指のアタッカーとしてインパクトを残し、日本代表の主軸にもなりうるタレント力を持った鎌田大地だ。
■日本代表での序列低下…フランクフルトでの活躍を経てついに代表復帰
強烈なインパクトを残した。昨年11月以来の日本代表招集となった鎌田は、2日に行われたパラグアイ代表戦にインサイドハーフとして出場。前半42分にチーム2点目のゴールを決めるなど、南米の強豪を4-1で撃破する勝利の立役者となった。試合後には森保一監督から「攻撃を牽引してくれた」と高い評価を受けた。
サッカー選手として脂の乗っている25歳の鎌田は、180センチの恵まれたサイズを持ち、足元の技術が非常に高く、視野の広さとプレー判断の速さを駆使して、意表を突くパスやドリブルを武器としている。
フランクフルトで充実したシーズン(リーグ32試合出場、4得点)を過ごしていたが、昨年10月のホーム・オーストラリア戦を最後に、11月のベトナム戦、オマーン戦でピッチに立つことはなかった。さらに今年3月のアウェイ・オーストラリア戦、ホーム・ベトナム戦では選外となっている。
日本代表における序列が低下した鎌田だが「クラブで結果を残すことが大事」と、黙々とフランクフルトで己のパフォーマンスを磨いた。その一方で、「W杯の出場権を獲得しないと出場できないので、みんなには勝って欲しいと思って見ていました」と日本の出場権獲得を願っていた。その願い通り、チームメイトはW杯の出場権を獲得。自身はヨーロッパでの偉業を達成し、念願の代表復帰を果たすことができた。
■練習参加も不合格。それでも諦めなかった高卒プロへの強い意志
鎌田のサッカー人生を振り返ると、いつでも飄々としている姿を思い出す。高校時代から何事にも動じず、常に『自分』というものを持っている印象だった。
京都・東山高校の2年生時にプリンスリーグ関西の得点王に輝くなど、ずば抜けた得点力を持つセカンドストライカーとして活躍していた。その年の冬に行われた高円宮杯プレミアリーグ参入戦では1、2年生のみで参戦。参入決定戦の藤枝東戦では決勝ゴールをマークしてチームを初のプレミアリーグ昇格に導いた。高校3年生で参戦したプレミアリーグWESTでチームは2勝13敗3分の最下位だったが、鎌田自身は得点ランキング4位タイとなる10ゴールをマークするなど一人で気を吐いた。
輝かしい成績を残した鎌田だったが、プロからの声はごくわずか。いくつかのJクラブの練習に参加したがことごとく不合格となり、サガン鳥栖からも最初は不合格を言い渡されるなど、厳しい現実を突きつけられた。
確かに当時の鎌田は、ストライカーとして最前線で体を張るタイプではないし、ボールを多く受けて捌くタイプでもない。ポジショニングも独特で、流れと関係のないところにいるかと思いきや、決定的な場面では必ず顔を出す。そのため計算しにくい選手に映ってしまったのだろう。スカウトの目には「鎌田はストライカーなのか、パサーなのか」と疑問がついてまわった。
しかし、この飄々としたプレーこそが鎌田の持ち味。余裕があるようにボールを受けることで、相手ディフェンダーは一瞬だけ躊躇してしまう。鎌田の『独特な間』によって、相手は簡単にボールを奪いにいけない。その一瞬の隙をついてプレーを選択する。
独特の間は、性格にも当てはまる。取材時も、こちらの質問に対して少し考えてからゆっくりと話しだす。大人と話しているかのような落ち着きがあり、じっくりと回答をする珍しいタイプだった。それでいてコメントには強い意志が感じられる。
「もっと点にこだわるプレーヤーになりたい。去年はまだ感覚でプレーをすることが多かったですが、今年はもっと相手を観察して、より相手の意図を外してシュートが打てる選手になりたい。そうしないと怖くない」
これは鎌田が高校2年生の時に発したもので、彼のずば抜けた能力の原点となる言葉だった。さらに高校3年生の時には「大学進学の道もあるなかで、高卒プロ入りにこだわっているのか?」と質問をすると、こう口にした。
「大学進学も必要な道かもしれません。でも、僕からすると、大学を卒業してプロ入りするときは、もう22歳。世界的に見て、22歳でプロになるのは遅い。僕は高校から直接Jリーグにいって、1年目から出ることが理想ですし、そうしないといけない。さらにその先も考えています。もちろん、やれる自信はあります」
この言葉にはかなりの力があった。鎌田の目には『自分の進むべき道』が見えていた。
プロの練習参加で不合格を突きつけられた鎌田には、大学からいくつかのオファーが届いた。しかしこれを突っぱねて、あくまでも高卒プロにこだわる。すると、一度は不合格を受けていた鳥栖から待ちに待ったオファーが届いた。11月というギリギリのタイミングでの内定決定だった。
■ベルギーの地で自信を手に 世界にはばたくアタッカーに成長
鳥栖に入ると周囲の評価を一変させるほどの大躍進を見せた。ルーキーイヤーでJ1デビューを果たす。2度目の出場となったFC東京戦後、鎌田に話を聞くと、こう応えた。
「開幕の時から『なぜ俺を使わないんだ?』と思っていました。それで森下仁志(現・ガンバ大阪ユース監督)監督とも1時間話し合ったりもしました」
思ったことはしっかりと伝える。そして、自らの示した意思表示に対してきちんと責任を果たす。高校時代から変わらないこの姿勢こそが、彼の魅力だった。
彼の未来予想図通り、鳥栖の中心となったプロ3年目の2017年6月、4年契約でフランクフルトに入団することが発表された。ドイツでの日々は順風満帆ではなく、1年目は僅かリーグ3試合出場に留まり、翌シーズンはベルギー1部リーグのシントトロイデンに期限付き移籍した。
しかしベルギーでは自身の能力を証明できた。リーグ24試合出場、12得点と結果を残し、2019-2020シーズンにはフランクフルトへ復帰。そこからは中心選手として冒頭で触れた活躍ぶりを見せている。
「あの年齢(22歳)で、ベルギーで場数を踏めたのはよかった。世界に出ても試合に出ていない自分に焦りがありました。ベルギーはブンデスと比べるとレベルは落ちますが、そこで結果を出せばフランクフルトに戻れるし、より上のチームにいけるかもしれないと思っていました」
22歳でプロは遅いと口にしていた少年が、22歳、ヨーロッパでブレイクするきっかけを掴んだ。常に前向きで、自分の目標に対して明確な意思と責任、覚悟を抱いている男。それが鎌田大地だ。
今、鎌田が見つめるものは、カタールW杯出場と「チャンピオンズリーグの優勝を争うクラブで活躍する」という目標。彼が持つ独特の間は、日本代表やフランクフルト、その先にあるヨーロッパのビッグクラブにおいて、チームに欠かせない『深み』となるだろう。時間と空間を操ることができる稀有な才能の持つ彼の真価は、まさにここから発揮される。
文=安藤隆人
写真=高橋学