●躍動する20歳の新鋭

サッカー日本代表は27日、EAFF E-1サッカー選手権で韓国代表と対戦し、3-0で勝利した。4大会ぶり2度目の優勝を果たしたチームの中で輝いていた1人が、ボランチでプレーした藤田譲瑠チマ。弱冠20歳の新鋭は、かつて欧州の頂点に立ち、天才とも称された小野伸二を彷彿とさせるものがあるという。(取材・文:元川悦子)
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 24日の中国代表戦をスコアレスドローで終えたことで、日本代表の大目標であるEAFF E-1サッカー選手権タイトルを獲得するには、27日の最終戦・韓国代表戦で勝つしかなくなった。森保一監督も「カタールワールドカップ(W杯)前最後の国内での試合。これまでやってきたことを思い浮かべながら、優勝で締めくくりたい」と強調。宿敵撃破へ闘志を燃やした。

 19日の初戦・香港代表戦から3人を入れ替えて挑んだこの試合。開始早々に町野修斗が思い切ってシュートを打ちに行くなど、日本代表は攻撃姿勢を鮮明にした。その軸を担ったのが、先発6人に名を連ねた横浜F・マリノス勢だ。

 とりわけ、岩田智輝とともにボランチを務めたパリ五輪世代の司令塔・藤田譲瑠チマのゲームコントロールとバランス感覚は光るものがあった。

 攻撃面では右の小池龍太、水沼宏太、トップ下の西村拓真との四角形を生かして連動性ある攻め上がりの起点となり、タメを作りながら的確なパスを供給。敵に脅威を与える。自分自身が課題という守備面も対面に位置するキム・ジンギュにしっかりと寄せ、ボールを奪いに行く。

「つぶせるシーンはあったんですけど、取りきれないシーンがあった」と本人は反省の弁を口にしていたが、香港戦からわずか1週間でかなり余裕が生まれた印象だった。

●「いい選択ができた」藤田譲瑠チマが語る手応え

 前半は相手の倍に相当するシュート6本を放ちながらスコアレスに終わった。ナ・サンホとキム・ジンスが陣取る相手左サイドから何度か攻め込まれたこともあり、嫌なムードも漂った。が、後半に入ると韓国の運動量が低下。スペースが空いてきたこともあり、より日本代表の勢いが増していく。

 その流れを決定づけたのが、開始4分の相馬勇紀の先制弾だ。ペナルティエリア右外でキープした藤田が右サイドを上がった小池へ展開。リターンを受けると精度の高い浮き球をファーサイドへ供給。ここに背番号16が飛び込んで打点の高いヘッドをお見舞いする形になった。

「1点目はマリノスの選手がすごく関わっていたなという印象で、右で崩してからリュウくん(小池)がボールを持って、トモキくん(岩田)が同じラインに入ったことで、相手の守備が散漫になったところで、トモキくんがスルーをしてくれた。その後、自分はフリーだったので、いい選択ができたのかなと思ってます」と本人も冷静なプレー選択ができたことを明かす。弱冠20歳とは思えない落ち着きだった。

 その後も長短のパスを織り交ぜながらの出し入れで敵を混乱させ、佐々木翔の2点目が生まれた直後には右サイドから50mのサイドチェンジ一発で局面を変えた。

 さらに27分には3点目の起点にもなる。西村に展開し、小池へとつながり、最終的にフリーの町野につながったこのゴールは、短期間で日本代表がすり合わせてきたコンビネーションが凝縮されていた。これがダメ押し点となり、日本代表は3-0で完勝。タイトルを手にする形となった。

 藤田は日頃の積み重ねが結実したことを前向きに捉える。

●藤田譲瑠チマが彷彿とさせるかつての天才

「3点目も右から崩した。マリノスでも同じようなタイミングで拓真君が落ちてくるし、リュウ君もそのタイミングでサイドで張っていたんで、いつも通りやったらゴールに結びついた。海外相手でも通用するというのは自信になったかなと思います」と藤田は日頃の積み重ねが結実したことを前向きに捉えていた。

 もちろんマリノス勢に助けられた部分はあっただろうが、巧みなパフォーマンスはボランチとしてUEFAカップ制覇を達成したフェイエノールト時代の小野伸二を彷彿させる部分があった。

 藤田は小野ほどの華麗な技術や創造性はないかもしれないが、中盤にどっしりと構えて味方を落ち着かせながら、視野の広さや展開力、戦術眼を要所要所で出せる。針の穴を通すようなパス出しもできるし、年齢以上の老獪さも併せ持つ。そこは偉大な先人と共通する部分と言っていい。

「年上の人にも気負いなくやるっていうのが自分のいいところ。今までやってきたことを今まで通りできればいいと思って入っていたので、落ち着いてできた」

 香港戦後にもこう語っていたが、その強心臓ぶりも特筆すべき点。だからこそ、6月のAFC U-23アジアカップで大岩剛監督からキャプテンマークを託されたのだろう。かつての小野も黄金世代のリーダーで、主将を務めることが多かったが、そういうところも似ている。

 思い起こせば、小野は18歳で98年フランスW杯に行き、2002年日韓W杯も22歳でレギュラーを張った。藤田も「A代表経由パリ行き」の前に「A代表入り・カタール行き」を果たすべく、大きな一歩を踏み出したのではないか。

 藤田本人はカタールW杯についてこう語る。

●「9月の欧州遠征に連れていきたいと思う選手」

「カタールには行けたらいいですけど、そんなに簡単な壁ではないと。この大会がよかったから呼ばれるというのは自分にはないと思うので。これをきっかけにJリーグでもしっかり活躍していて、日常が評価されていくことが大事。遠藤航さんと自分を比較した時にボールを奪いきるところが足りないと思っています」と本人は慎重な姿勢を崩さない。森保監督から指摘された課題を彼なりに理解しているのだ。

 であれば、球際や寄せ、ボール奪取力を徹底的に磨けばいい。若い選手というのはちょっとしたきっかけでグングン伸びることがある。今の藤田はそういう時期を迎えているのかもしれない。

「9月の欧州遠征に連れていきたいと思う選手はいた」と指揮官は言ったが、伸びしろの大きなパリ世代の彼は候補者の1人に躍り出たと言っても過言ではないだろう。近未来の日本サッカー界を見据えても、26人枠の中に20歳前後の選手を入れておくことは得策ではないか。

 もちろん代表ボランチは遠藤航を筆頭に、守田英正、田中碧ら欧州組がひしめく激戦区。藤田が言うようにそう簡単に割って入れる状況ではない。国際経験不足の彼がごぼう抜きで序列を上げていくためにも、まずはマリノスで圧倒的な仕事を見せていくことが肝要だ。

 まだ夏の欧州移籍市場が開いているため、8月中の移籍がないとも言い切れない。近い将来、彼は海外へ行くだろうが、とにかく世界基準を貪欲に追い求めていくしかない。それがさらなる飛躍につながる。大きな可能性を垣間見せた藤田には、前へ前へと突き進んでほしいものである。

(取材・文:元川悦子)

【了】