ワールドカップが開かれているカタールは、蹴球放浪家・後藤健生にとって、勝手知ったる国である。だが、全土を知り尽くしているわけでもない。今回、2011年のアジアカップで「未開拓」だった地区に、思わぬ形で足を踏み入れることになった。
■労働者のための「クラスター」
メトロ「赤ライン」最南端のアルワクラ駅からシャトルバスで30分強。南北に2キロ以上、東西1キロの敷地内に、3階建てのまったく同じデザインのビルが延々と立ち並んでいます。
6つのビルが「クラスター」というどこかで聞いたことのある単位で一つのユニットになっています。僕が泊まっているのは「クラスターT」。一つの建物には3階まで含めて120部屋があります。クラスター全体で720部屋。クラスターはAからUまであるようです。だから「T」と「U」は最新というわけです。まだ、完成はしていません。まだ部屋の中のトイレとシャワーは使えますが、キッチン部分は未完成のままです。今は「T」と「U」が完成したところですが、今後さらに「V」以降も建設されるようです。
今は、だだっ広い部屋にベッドが2つ並んでいますが、完成時には1部屋に4人ずつということになるようです。
■過酷な肉体労働
4人×720部屋=2880人。各クラスターに3000人弱だとすると、クラスターが「U」までの21あるとすれば、約6万人ということになります。
この敷地内にこれだけの労働者が詰め込まれるのです。もちろん、彼らのためのスーパーマーケットや食堂も開店します。そして、敷地の周囲は高い塀で取り囲まれているので脱出は不可能になっています。
シャトルバスでアルワクラ駅まで向かうと、周囲にもいくつか同じような施設を見ることができます。
ちなみに、人口約300万人のカタールで、外国人労働者は人口の90%ほどを占めると言われています。
すっかり定着して裕福になってドーハ市内に暮らしている人もたくさんいます。アラビア語ができるパレスチナ人などは、通訳など知的な仕事に従事しています。商業で成功したインド系の人もたくさんいます。
しかし、過酷な肉体労働に従事しながら故郷の家族に送金を続けている出稼ぎ労働者も100万人以上はいるわけです。
■ネパール人労働者の苦労
先日、エデュケーションシティー・スタジアムの外で、スタジアム建設にも従事したというネパール人労働者の話を聞くことができました。温厚な顔をしたそのネパール人は、なんと10年もカタールに住んで働いているのだというのです。生活自体には不満があるようには思えませんでしたが、「夏の高温の中での労働は本当に過酷だ。11月は気候が良いけどね」と、その苦労を語ってくれました。
インド系でも、ネパールではクリケットよりサッカーなので、ワールドカップの試合には興味があるそうですが、実際に自身が建設に携わったスタジアムで観戦することは難しいそうです。
ワールドカップが終了すれば、新しい労働者たちがこの「バラハト・アル・ジャヌーブ」にも送り込まれてくるのでしょう。