サッカージャーナリスト・後藤健生のカタールワールドカップ取材は終了した。多くの材料を持ち帰ってきたが、帰途にも取材はある。スリランカでは蹴球放浪家として、懐かしい風景に出会っていた。
■カタールを離れる
「蹴球放浪記」と称して過去の思い出話を書かせていただいていますが、「放浪」とは本来は「目的もなく彷徨(さまよ)うこと」のはずです。しかし、僕の行動はすべてサッカーの試合を見るという明確な目的を持っているもので、その時に出会った失敗談や恐怖体験、感動体験などについて書いてきたのです。
今回は、そういう意味で、本当の「放浪」のお話です。
カタールのワールドカップはいろいろな事情があって、まるまる1か月行っているわけにいかなかったので、ラウンド16までを見て12月6日の夜の便で帰国することにしてしました。
今回はドーハ都市圏で全試合が開催されるので、FIFAが「グループリーグの間は1日に2試合の取材申請可」と言ってきたのです。実際開幕戦から毎日2試合ずつ観戦し、それにラウンド16の4試合を合計すると全部で29試合。たった17泊で29試合観戦できたので、大変に効率が良い大会になりました。
それに対して、準々決勝以降は試合のない日もあるので、それほどたくさん試合を見ることはできません。そこで、僕は大会後半の優勝争いではなく、大会前半に試合を見続けることを選んだのです。
■スリランカでの14時間
帰国予定の12月6日はラウンド16の最終日でした。エデュケーションシティ・スタジアムでのモロッコとスペインの試合は前半終了の時点で切り上げて、ハマド・インターナショナルエアポートに向かいました(日本が2位通過で6日の試合になっていたら、試合終了ぎりぎりまで観戦するか、滞在を延長するつもりでした)。
とにかく、こうして僕は12月6日のスリランカ航空で帰国の途に就きました。
スリランカ航空を利用したのは料金がいちばん安かったからでしかないのですが、帰国便は12月7日の明け方にコロンボのバンダラナイケ国際空港に到着し、東京行きの乗り継ぎまでに14時間もあったので、「しめしめ、この間にコロンボ観光ができるな」とも思っていたのです。
スリランカは、アジアでは珍しくまだ来たことがない国でした。
こうして、コロンボでの“放浪”が始まりました。
■高騰していたバス代
コロンボはスリランカ最大の都市で、国の経済の中心です(首都はコロンボ近郊のスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテに移転)。しかし、観光地というわけではなく、とくにここに行きたいということもなかったので、まさに目的のない“放浪”になったのです。
幸いだったのは、思っていたほど暑くはなく(日向は暑くても、日陰で風にあたると涼しい)、また雨も降らなかったことです。“放浪”には天候は重要な要素です。
空港では、タクシー(トゥクトゥク)ドライバーの攻勢をかわしながら、一般バスに乗りました。ガイドブック等には130ルピーと書いてあるものが多いようですが、スリランカは石油価格の高騰で大統領や首相が批判を受けて政権が引っくり返ってしまうほどだったので、その後も値上げは激しく、今はバス代は200ルピーでした。日本円で100円ほどです。
そのかわり、一般バスなのでバス停で泊まりながらの運行になります。しかも、大きなバス停では客が満員になるまで「イヤポー、イヤポー、イヤポート」呼び込みをし続けます(エアポートが「イヤポー」に聞こえる)。
おかげで、コロンボから30キロ強の空港から行きは1時間20分、帰りは2時間近くかかりました。