【識者コラム】カタールW杯は普及面を考えれば大成功だったが…

 1993年米国大会最終予選での「ドーハの悲劇」の頃から、日本国内でもワールドカップ(W杯)は4年に1度のお祭りとして広く認知され定着してきた。今では五輪に勝るとも劣らない注目イベントになったので、失敗をすれば日本サッカー界には大打撃になる。その点で毎度お馴染みの「感動をありがとう」一色に包まれたカタール大会は、とりわけ普及面を考えれば大成功だった。

 だが森保一監督は、繰り返し公言してきた「ベスト8」という目標を達成したわけではない。究極の真剣勝負となる最高の舞台で、ドイツとスペインを下したのは紛れもない快挙だ。しかし大会を終えた今、日本サッカー協会(JFA)がしっかりと検証をしなければならないのは「結果」ではなく「内容」であり「質」だ。

 確かに日本に敗れたドイツは、2大会連続してグループリーグ(GL)で敗退した。しかしそれでも何度かの低迷危機に陥りながら、歴史を俯瞰すれば常勝を続けてきた国の姿勢には学ぶべきものがある。例えば1996年EUROでドイツは優勝という最高の「結果」を手にしている。しかしドイツ連盟(DFB)内に浮かれるムードは一切なく、むしろ危機感に包まれていた。

「我々が勝てたのは、相手より最後まで諦めない気持ちなどが上回っていたからで、創造性ではイタリアやロシアに劣っていた」

 この反省を原点として、やがていかに創造的な選手をいかに育成していくか、というプログラムが作成され、2014年に若いチームで世界を制する成果につながった。

 カタールW杯は、欧州シーズンを中断し強行されたわけだが、もはや準備期間を考えても代表監督にできることは限られている。さまざまな要因で明暗は分かれたが、上位に顔を出すようなチームは、レギュラーの大半が欧州のトップレベルで活躍する選手を集めていた。もちろん日本も森保監督のマネジメント能力や、大会に入ってからの采配など高く評価するべき部分もあるが、GLを突破できた最大の要因は戦力の向上だった。従ってこの先へ進むには、当然選手個々の成長が大前提になり、逆にそれなしには誰が監督でも理想を追い求めることはできないのかもしれない。

現体制で技術委員会が代表監督のサポートに徹するなら、評価を下す機関新設が必要

 ただし森保体制が継続された場合、4年先まで手腕を問われる機会はない。W杯は次回から参加国が48か国に膨れ上がり、アジア枠も実質倍増するので日本が出場権を失うリスクは皆無に近い。強いて挙げればアジアカップになるのだろうが、この大会で「これ以下なら失格」という明確なノルマが課されたことはない。

 一方で代表監督の評価という点で、技術委員会が機能しているとは言い難い。そもそも最近は監督を任命した技術委員長が先に退任しているので、責任の所在が曖昧になっている。現体制で技術委員会が代表監督のサポートに徹するなら、逆に冷徹に評価を下す機関を新設する必要があるはずだ。

 JFAは「2050年までに世界一」という目標を掲げたが、比較的新しい優勝経験国では、スペインが最初にベスト4入りしてから60年間、同じくフランスでも40年間をかけて世界一に到達している。もしここで同じ体制が8年間続いたことで停滞を招けば、大きな夢の実現には致命傷になる。国中が快哉を叫んでいる今こそ、JFAの本気度が問われる。

 そして組織が成長していくには、必ず異論や刺激が必要だ。(加部 究 / Kiwamu Kabe)