2人合わせて「ワールドカップ25大会」を取材した、ベテランジャーナリストの大住良之と後藤健生。2022年カタール大会でも現地取材を敢行している。古きを温め新しきを知る「サッカー賢者」の2人がカタール・ワールドカップをあらゆる角度から語る!

■なかなか見られない試合

 僕は前回までで12回ワールドカップ観戦に行っているが、3位決定戦は見ていない試合もかなりある。最初に行った1974年の西ドイツ大会やその4年後のアルゼンチン大会では、3位決定戦は決勝前日に決勝戦と同じスタジアムで行われたから、もちろん見に行った。

 だが、たとえば1990年のイタリア大会では決勝戦はローマのスタディオ・オリンピコが会場だったが、3位決定戦は南部バーリのスタディオ・サンニコラで行われた。大事な決勝戦の前夜に遠いバーリまで行くのはかなり面倒だったし、イタリア名物の鉄道ストなんかでローマに戻って来られなかったら一大事だからだ。

 1986年のメキシコ大会の時はメキシコ市から150キロほどのプエブラが3位決定戦の舞台だった。これくらいの距離なら見に行ける。それに、西ドイツに敗れて決勝進出を阻まれたミシェル・プラティニのフランスは見たかったし、プエブラの名物料理モーレ・ポブラーノも食べたかったからだ(フランスは3位決定戦に主力選手を出場させず、プラティニはピンクのシャツを着てスタンドに座っていた)。

 前回ロシア大会の3位決定戦はサンクト・ペテルブルグが会場だったが、高速鉄道と飛行機を使ってモスクワから観光がてら3位決定戦も観戦に行った。

 まあ、今回はいずれにしてもメトロで行ける範囲なのだし、大会後半を盛り上げたクロアチアとモロッコの対戦だから、現地にいたら僕も迷いなく観戦に行ったことだろう。

■モロッコ躍進を喜ぶFIFA

 クロアチアは6試合を戦って成績は1勝4分1敗! 2試合連続でPK戦勝ちでベスト4入りしてしまった。しかも、それを2大会続けたのだから批判されていてもおかしくない(1990年大会でアルゼンチンがやはり2試合連続PK勝ちで決勝進出を果たした時はかなり非難を浴びた)。

 やはり、クロアチアのひたむきな戦い方が人々の気持ちを引き寄せたのだろう。それと、ルカ・モドリッチというキャプテンの人間性によるものでもあるのだろう(つまり、イタリアでは嫌われていたディエゴ・マラドーナと違って)。

 一方のモロッコもスペイン戦のPK勝ちも含んでいるが、ベルギーやポルトガルといった強豪国をなぎ倒しての準決勝進出で大会を盛り上げた(ベルギーやポルトガルはチーム状況が良くなかったが)。

 モロッコは開催国カタールと同じアラブ系のイスラーム教国だったので地元観客からサポートを受けることができたし、ヨーロッパを中心に激しく非難されているワールドカップのカタール開催を正当化したいFIFAの思惑とも一致した。

 モロッコ代表選手の半数ほどがヨーロッパ生まれ、ヨーロッパ育ちだ。つまり、ジブラルタル海峡を挟んでイベリア半島と対峙するモロッコは地理的にヨーロッパ大陸に近く、フランスの保護領だったため文化的にはフランスの影響も強い。

 西ヨーロッパ各国にはモロッコ移民のコミュニティーが存在しており、そうしたヨーロッパ在住モロッコ人の子供たちがヨーロッパでサッカーを始めるのだ。そして、モロッコ代表を選択した選手たちが祖国のために活躍している。いわば、半分はヨーロッパのチームと言ってもいいのだ。

 そういう意味では2002年日韓大会で3位になったトルコに似ている。トルコはUEFA所属という違いはあるが、ともにヨーロッパ大陸に隣接したイスラーム国家で、ヨーロッパに住んでいる人が多く、そこで育った選手を多数代表に招集してチームを作った。

 そういえば、2002年大会の3位決定戦はソウルで行われた。ソウルでの準決勝(ドイツ対韓国)を見てから帰国して、埼玉での準決勝(ブラジル対トルコ)を見た後、再びソウルに行くのはさすがに面倒だったので、あの3位決定戦も見に行かなかったなぁ。