●森保一監督が「絶対に許さない人間」
FIFAワールドカップカタール2022で、サッカー日本代表は決勝トーナメント進出という結果を残した。日本代表を率いる森保一監督は指導哲学を持っているのか。サンフレッチェ広島の指揮官を務めていた当時の著書、『プロサッカー監督の仕事 非カリスマ型マネジメントの極意』を一部抜粋して全3回に渡って公開する。(文:森保一)
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人の心を推察しても、その人を肯定することも否定することもありません。いろいろな個性があっていいと思うし、その中で周囲のことを思いやれる人間もいれば、自己中心的な人間もいます。それを否定することはしません。それがグループとして当たり前だと思うし、十人十色の人間がいた方が、案外楽しめるものです。
ただ、それをサッカーチームに当てはめた場合、僕が絶対に許さないタイプも存在します。それは「チームを批判する人間」と「チームの輪を乱す人間」です。
別に性格やそれぞれの生活リズム、試合に向けた気持ちの持って行き方を崩してまでチームに合わせる必要はないと思います。しかし、チームメートやグループの輪が崩れるような言動は絶対に「ノー」です。
自己中心的でもいい。ただし、チーム内で決められたルールの中でやる。これは当たり前のことだと思います。でも、細い道を窮屈に歩かせるのではなく、ちょっと許容範囲を作ってあげて、できるだけ広い道を歩いてもらう。壁にぶつかりながらでも、輪の中で同じ方向に向かって歩いていければいいと思っています。
サッカー選手を「観る」というのは、ピープルウォッチングとは少し違うかもしれません。まず、自分がやろうとしていることを選手に伝え、それを選手ができているかどうか、サッカー選手としての技量を主に観ていかなければいけないからです。
選手を観て、「今日は調子がよさそうだな」「顔色がちょっと悪いな」「彼女と喧嘩でもしたのかな」みたいなことを感じ取ることはあります。ただ、それは顔色をつぶさに観てピープルウォッチングをしているわけではありません。そういった神経質なものではなく、自然と気付くという感じです。
選手と監督・コーチは、練習場やスタジアムで毎日、顔を合わせます。その意味で、クラブチームは「家族」に近い。約束をして、待ち合わせをして会うわけではなく、練習場に自然と集まってくる。家族が家に帰ってくるのと同じで、それが当たり前という感覚なのです。家にいるとき、家族の様子をジーッと観察はしませんよね。でも、「あれ、何だかいつもと違うな」と気付くことはあるでしょう。そういう捉え方なので、ピープルウォッチングとは別物です。
もし、こちらが観察の姿勢で肩に力を入れて選手たちを観ていたら、向こうにはそれが伝わるだろうし、「観られている」という緊張感を与えてしまって、空気がおかしくなってしまいます。でも、選手個々に目を向けてあげるのは、監督としての僕の義務でもあります。観られていない選手がいたら、「なぜそれで評価できるの?」と不満を感じてしまいます。「観ていないくせに」。そう選手に思わせてはいけないのです。
僕は広島の監督に就任したとき、選手たちにこう言いました。
「まずは1人ひとりが、個のレベルを必ず上げること。そこでチーム力を上げたい」
僕は監督としてではなく、1人の指導者として、1人の人間として、選手個々の成長をちゃんと観てあげられるようにしていこうと思っています。