初出場のフランスから昨年のカタールまで、7大会連続でワールドカップに進出している日本代表。
ここでは、大学サッカー経験者としてW杯に出場した選手たちでベストイレブンを組んでみた。
GK:シュミット・ダニエル(中央大学)
2022年大会出場
大学出身のGKでワールドカップメンバーに入ったのは小島伸幸と2人のみ。ともに本大会での試合出場はなかったが、海外での実績を考慮してシュミットを選出した。
身長は日本代表史上でも破格の197cm。東北学院高校から中央大学へ進学し、現在はベルギーのシント=トロイデンでレギュラーの座を掴んでいる。
2月3日に31歳の誕生日を迎える守護神は、今のところ次回ワールドカップの正GK有力候補の一人だ。
DF:秋田豊(愛知学院大学)
1998、2002年出場
愛知学院大学から鹿島アントラーズへ加入し、Jリーグ屈指のヘディンガーとして名を上げた秋田。
1998年大会では絶対的なレギュラーとして3試合に出場し、2002年大会は中山雅史とともに「サプライズ選出」された。出場機会こそなかったものの、精神的支柱としてベスト16進出に貢献している。
引退後は指導者、さらに複数の企業を経営する実業家となり、いわてグルージャ盛岡では監督を経て、今年からオーナー兼社長に就任した。
DF:井原正巳(筑波大学)
1998年出場
日本代表史上もっとも優れたリベロと評価され、「アジアの壁」と呼ばれた。
巧みで狡猾なディフェンスに加えて攻撃力にも優れており、1994年アジアカップの韓国戦で決めたとてつもないミドルシュートは今でも語り草となっている。
日本が初出場を果たしたフランスワールドカップではキャプテンとして3試合にフル出場。ただ勝利を味わうことはできなかった。
DF:谷口彰悟(筑波大学)
2022年出場
川崎フロンターレでここ5シーズン、4度のJリーグベストイレブンに輝いたセンターバック。
国内組ながら最終予選で結果を残してカタール行きの切符を掴み、本大会ではスペイン戦でスタメンに抜擢され、勝利に大きく貢献。クロアチア戦もフル出場した。
2022シーズン限りで9年間過ごした川崎を退団。カタールのアル・ラーヤンへ加入し、2月からはACLの決勝ラウンドに臨む。
DF:長友佑都(明治大学)
2010、2014、2018、2022年出場
明治大学では一時スタンドから応援をしていたという長友。
特別指定選手としてFC東京でJリーグデビューを果たし、北京五輪、南アフリカワールドカップに出場。イタリアへ渡ると、その半年後には名門インテルへステップアップと、凄まじいシンデレラストーリーを描いた。
大学在学中にサッカー部を退部しているため他の選手とは異なるが、間違いなく「大学でキャリアを花開かせた」選手だ。
MF:山口素弘(東海大学)
1998年出場
横浜マリノスとの合併によってその姿を消してしまった横浜フリューゲルス。その最後のキャプテンであり、奇跡の優勝を飾った天皇杯でトロフィーを掲げたレジェンドだ。
日本代表としても1995年のキングファハド杯から主力になり、1997年に旧国立で開催された日韓戦では、伝説のループシュートを決めている。
フランスワールドカップでもボランチとして全3試合にフル出場。現在は名古屋グランパスでゼネラルマネージャーを務める。
MF:守田英正(流通経済大学)
2022年出場
カタールワールドカップは負傷明けだったこともありやや不完全燃焼に終わったが、ボランチとしての実力に疑いの余地はない。
流通経済大学時代に進化を遂げ、2018年に加入した川崎フロンターレでは1年目からスタメンを確保し連覇に貢献した。
2021年に移籍したポルトガルでも現在、名門スポルティングのレギュラーとしてプレーしており、今後のさらなる活躍が期待される。
MF:名波浩(順天堂大学)
1998年出場
大学サッカー界の伝説の一人。90年代後半から黄金期を築いたジュビロ磐田の中心選手であり、日本代表でも中村俊輔と並ぶレフティとしてピッチを鮮やかに彩った。
ワールドカップはフランス大会に10番として出場。海外移籍を経て迎えた2002年の日韓大会でも活躍が期待されたが、度重なる怪我もありメンバー入りはならなかった。
今年から森保一監督率いる日本代表のコーチに就任。指導者としてワールドカップ出場を目指す。
MF:伊東純也(神奈川大学)
2022年出場
世代的には宇佐美貴史や柴崎岳と同じプラチナ世代。地元の逗葉高校から神奈川大学というキャリアを歩みながら、その成長力によりJリーグでブレイクした。
ヴァンフォーレ甲府と柏レイソルの計4年間で国内屈指のスピードスターとなると、ベルギーのヘンクでさらに成長。
日本代表では最終予選の4試合連続ゴールで一気に地位を固め、カタールワールドカップでも右サイドで重要な役割を担った。
MF:三笘薫(筑波大学)
2022年出場
今や世界にその名を轟かせる存在となった、日本サッカーの至宝。
カタールワールドカップでは全4試合に出場。ピッチに立ったのはいずれも後半からだったが、「三笘の1ミリ」など大会屈指のジョーカーとして鮮烈な印象を残した。
所属のブライトンでもチームの中心となり、プレミアリーグやFAカップでスーパーゴールを連発中。早くもこの夏の移籍がささやかれている。
FW:中山雅史(筑波大学)
1998、2002年出場
記念すべき日本代表のワールドカップ初得点者。
アルゼンチン戦とクロアチア戦では先発出場するも得点を奪えなかったものの、ジャマイカ戦では骨折を抱えながらも一矢を報いるシュートを決めた。
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2002年の日韓ワールドカップではフィリップ・トルシエ監督によって秋田豊とともにサプライズ選出。10番を着用してロシア戦で途中出場した際には、会場の盛り上がりがピークに達した。