サッカー日本代表のベスト8という目標は4年後に託されることとなった。自国開催以外で初の決勝トーナメント進出を果たした2010年大会から12年が経ち、既に現役を引退したメンバーも少なくない。今季で現役を引退した2人は、新たな形で日本サッカーの発展に寄与しようとしている。(取材・文:元川悦子)

●W杯を知る中村俊輔と駒野友一の現役引退

 カタールワールドカップ(W杯)での日本代表のドイツ代表、・スペイン代表撃破で沸いた2022年が間もなく終わる。11~12月の国内は想像以上にW杯で盛り上がったが、日本はベスト8という「新たな景色」を見ることができたわけではない。森保一監督の続投が間もなく本決まりになる見通しだが、本当に現体制のままで4年後の2026年北中米W杯の8強入りが叶うのか。今の国内での楽観ムードに流されることなく、厳しい目でしっかりと注視していく必要があるだろう。

 現代表の注目度が飛躍的に上昇した傍らで、同じくラウンド16のPK戦で敗れた2010年南アフリカW杯の代表である中村俊輔と駒野友一が今季限りで引退した。

 中村俊輔は日本代表がW杯に初参戦した98年フランス大会前のオーストラリア合宿から候補入りした逸材。その後、シドニー五輪の活動に専念していたこともあり、A代表デビューは2000年1月のシンガポール戦までずれ込んだが、その後はトルシエジャパンの重要戦力と位置づけられる。

 だが、2001年コンフェデレーションズカップで小野伸二が左ウイングバックで台頭し、俊輔自身も長期間代表から離れたこと、トルシエとの確執などが災いし、2002年日韓W杯はまさかの落選。本人は気を取り直して、イタリアのレッジーナ移籍を決断。2006年ドイツW杯での再起を賭けた。

●中村俊輔が叶えられなかった2つの夢

 その思惑通り、次の代表指揮官・ジーコは彼を中田英寿とともに絶対的中心に据え、つねに試合に出し続けた。ドイツW杯の時も俊輔は原因不明の発熱に見舞われたが、それでもスタメンで起用した。そんな恩に報いるべく、初戦・オーストラリア代表戦ではラッキーな形で先制点を奪ったが、チームは終盤に3失点を食らい、衝撃的な逆転負け。ショックを受けた日本代表は大会の最後まで立ち直ることができず、1分2敗のグループ最下位で惨敗した。

 こうした過去3大会の悔しさを晴らすべく向かった2010年南アフリカW杯。彼は「自身の集大成」と位置づけた。所属のセルティックではUEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)・マンチェスター・ユナイテッド戦で直接FK弾を決めるなど、世界的評価もアップ。そんな彼をイビチャ・オシム、岡田武史両代表監督もリスペクトし、2009年春までは「俊輔ジャパン」と言われるほど、代表での彼の存在価値は別格だった。

 しかしながら、2009年夏のスペイン・エスパニョール移籍によって風向きが変化し始める。ちょうど同時期に本田圭佑がオランダ1部でゴールを量産して急成長し、俊輔の地位を脅かしつつあった。本人も出番を得られないスペインを離れ、2010年春には古巣・横浜F・マリノスに復帰し、W杯に向けて急ピッチで調子を上げようとしたが、ケガも重なり、なかなかコンディションが戻らない。日本代表の低調な戦いも響き、直前でスタメンから外されるという皮肉な現実を突きつけられることになった。

「ビッグクラブとW杯で活躍するっていう、その2つは叶えられなかった」と本人も残念そうに語っていたが、何が足りなかったのかを突き詰めて今後に生かす覚悟だという。

●真のプロフェッショナルだった駒野友一

 一方の駒野だが、代表デビューは2005年東アジア選手権・中国代表戦。そこから一気に2006年ドイツW杯代表入りをつかみ、加地亮のケガもあって初戦・オーストラリア代表戦で先発出場を勝ち取った。だが、ラスト6分間に3失点。しかも3失点目はジョン・アロイージに駒野がぶち抜かれ、決められたもの。彼自身、絶望の淵に追い込まれたという。

 その後、オシム体制では左サイドバック(SB)のレギュラーに定着。本職の右ではなかったが、持ち前の献身性を押し出し続けた。ところが、2007年11月にオシムが病に倒れ、岡田監督が後を引き継ぐと、内田篤人と長友佑都の2人が台頭し、駒野は「両SBの控え」という不本意な立場に置かれる。辛抱強い男は「いつかチャンスが来る」と前を向いたが、大会直前の韓国戦で内田が負傷すると、指揮官が抜擢したのは今野泰幸。これにはさすがの駒野もショックを受けたという。

 だが、最終的にはその今野も負傷し、駒野が大舞台に立つことになる。4試合のフル稼働ぶりは凄まじかった。世の中からは最後のパラグアイ代表戦のPK失敗ばかりが取り上げられるが、駒野の堅守がなければ、日本代表の16強入りもあり得なかった。鉄壁守備陣の一翼を担った貢献度は高く評価されるべきだ。

 その後の4年間も駒野は代表で戦い続けた。アルベルト・ザッケローニ監督も内田・長友という欧州で活躍する2人をメインに据えたが、両SBをこなせる駒野も重宝した。しかし、2013年コンフェデ杯で惨敗するとベテラン切りを断行。中村憲剛、前田遼一らを外し、若い世代を抜擢し始める。結局、駒野の3度目W杯は夢と消えたが、国際Aマッチ78試合出場という数字は称賛に値する。黒子としてチームを支える姿勢も含め、真のプロフェッショナルだったのは間違いない。

●自分の経験を生かす難しさ

 彼らを含め、2010年組の23人中12人がユニフォームを脱ぎ、新たな一歩を踏み出している。その多くが指導者に転身。鹿島アントラーズの監督2年目を迎える岩政大樹監督、JFAロールモデルコーチとなった中村憲剛、内田、阿部勇樹の3人など、さまざまな形で新世代の育成に当たっている。

 中村俊輔も来季から横浜FCのトップコーチに就任。駒野の方は古巣・サンフレッチェ広島のスクールコーチ就任が25日に明らかにされた。彼らのようにW杯の修羅場をくぐった面々が新たなタレント育成携わるのは日本サッカー界にとってプラス。というのも、今の代表コーチ陣に国際経験がないからだ。

 森保監督はもちろんのこと、パリ五輪世代のU-21日本代表の大岩剛監督、U-16日本代表の森山佳郎監督は選手・指導者として海外経験はない。U-20日本代表の富樫剛一監督はスペインで武者修行した人物だが、そういった世界基準を体感し、現場に落とし込める人材がまだまだ足りないのは事実。選手の方は欧州5大リーグでプレーする人材が年々増えているだけに、指導者がその流れに追いつかないと、日本サッカーのレベルは根本的には上がらないのではないか。

 そういう意味で、中村俊輔のような欧州CLとW杯経験を持つレジェンドの指導者転身は朗報。ただ、彼の感性をどう言葉にして現場に落とし込むかが難しい。

「全部真っ白にして始めないと自分の経験も生きない。B級ライセンスを取った時も答えを知ってる分、教え過ぎって言われた」と本人も難しさを吐露していた。自分が簡単にできることを他の人間ができるとは限らない。それを理解し、教えるのは本当に難しい。その命題には駒野や中村憲剛、内田らもぶつかるはず。そういった中から彼らなりの指導術を見出し、結果を出せるようになって、初めて独り立ちできるのだ。

 ポスト森保に代表レジェンドの指導者の名前が数多く挙がるような状況になれば、日本代表の未来も明るい。そんな日がいち早く訪れることを祈りつつ、引退した2人にはいち早く、力をつけてほしいものである。

(取材・文:元川悦子)

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