「この本で全体的に主張したのは、男らしさの鎧を脱ぎ捨てることが出来る人と出来ない人の分断がいま問題になっているのでそこをどうするか」
こう話すのは、英文学者で専修大学教授の河野真太郎氏。いま、彼が執筆した『新しい声を聞くぼくたち』(講談社)が注目を集めている。
この本が投げかけているのは、「男性性のあり方」。フェミニズムとして女性の地位向上、権利獲得が叫ばれる現代社会で「現代の男性はどう生きるべきなのか」を読み解く一冊となっている。
アメリカで「中絶の権利」を巡りデモが行われるなど、世界中でフェミニズムに関連する運動が活発になる中、男性からはその動きに対し、批判や反発の声が上がることも少なくない。河野教授は現代社会において、フェミニズムを巡り、男性の間で「分断」が起きている状況だと話す。
「フェミニズムの呼びかけに応えて、主体性を調整できる人たちと、反発を覚えてしまう人たちの分断は、今のフェミニズムや男性性の問題を考える上で非常に重要な分断だなと。男性たちが変わってこそフェミニズムの目標は達成できるし、男性たち自身も変わることで解放される側面もあると思うんですね」
フェミニズムの呼びかけに応答できる人と拒否する人の対立。なぜ、フェミニズムに拒否反応を示す男性がいるのだろうか。河野教授はこう分析している。
「恨み、苦しみが、男性の場合はある種のフェミニズムに対する恨みとか、女性一般に対するものに転嫁されていると分析している。本当の自分の苦しみの原因は、新自由主義的な競争社会にあるかもしれない。自分が職を得られないで苦しんでいるのは、女性たちが自分が付くべき職についているからだと自分の苦しみを別の形に転嫁している」
社会生活を通じて誰しもが身に着ける、身に着けてしまう、ジェンダーに関する価値観、そして偏見――。河野教授は時代の変化とともに、「男性はこうあるべきだ」という男らしさの鎧を脱ぎ捨て、新たに学びなおすことができるはずと話す。
「男らしさの鎧を脱ぐ。もしくは学んでしまった有害な男性性を学び捨てる。ジェンダーという考え方の基本は社会の経験で身に着けてしまったものという考え方なんですね。ですから身に着けてもらったものである以上、理屈の上ではそれを脱ぎ捨てることができる」
一方で、問題はそう簡単ではない。なぜなら男らしさの鎧を脱ぐにも“能力”が必要であり、それができる男性と、できない男性の間で分断が生じていると河野教授は指摘している。
また、フェミニズムを巡る分断に対して「個人で頑張って意識を変えよう」と唱えることにも限界があるとしている。では、いったいどうすればいいのだろうか。河野教授は分断を解消する1つのヒントは映画や漫画などポップカルチャーにあると指摘した。
本書では過去に公開された映画や漫画・アニメなどの男性を分析。古今東西、さまざまな男性性の変遷を読み解くことで「現代の男性性とは何か」。共通の物語を探し出すという内容になっている。
たとえば、大ヒットを記録したアニメ『鬼滅の刃』の主人公・竈門炭治郎は男性性の「過去といま」が強く表されているという。
「ケアする主人公になっているのが1つ大きなポイントになってくるかなと思います。鬼になってしまった禰豆子(※炭治郎の妹)を守る・ケアし続けるということと、『自分は長男だから耐えられた』みたいなセリフがあるんですけど、片方では先進的と言いましょうか、新たな男性性を描いているように見えつつ、もう片方では保守的な家父長制。この二面性の綱引きがすごく面白い漫画かなと」
フェミニズムに共感し応答する声、そして反発する声も同じ「新しい声」。本のタイトルには、片方の声を排除せずに両方の声に耳を傾けたいという思いも。河野教授は、漫画やアニメ作品を通じ“新たな男性性”を知ることで、男性の生き方が変わっていく「まだ見ぬ未来を想像できるのでは」としている。
「共通、共有の物語としての分化作品をみんなで読み解く、みんなで考えていくと、特にこの男性性について考えて共有していくことで、ある種の共有された文化を生み出すことができないか考えた。イギリスの文化研究者の言葉を使って、共通文化という言葉を使わせて頂いたんですが、そういった今はまだない“新たな男性性の共有な文化”に向けて作品を読解していくことができないか。男性の生き方が大きく変わっていくような社会を構想するというのを考えていきたかった」
これを受けて、ニュース番組『ABEMAヒルズ』のコメンテーターで慶応大学特任准教授などを務めるプロデューサーの若新雄純氏は、新しい共通文化作りに共感しつつ、「無力さを共通文化にしてはどうか」と、次のように話した。
「新しい共通文化というものは、歴史もなかったりして、みんな信じるのが難しいから、すぐ崩れちゃって、『やっぱ男はこうあるべきでしょ』とか『昔からこうあったものを大切にすべきでしょ』ってなりがちだと思うんです。
だけど、鬼滅の刃(劇場版)に関していうと、目の前で煉獄さんが殺されて、何もできない状態の主人公・炭治郎の無力感。僕は作品の中であれほど主人公が無力なまま終わるものは珍しいと思ったんです。それが例えば一つは、“人は無力である”ということを新たな共通文化にできるかどうか。無力さを共通文化にして支え合うというのは、よほどの人間的な学びが必要で、結局そこにみんないけないから、古くからの“○○らしさ”とかそういうものが好まれてしまうのかなと思います」
(『ABEMAヒルズ』より)
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