■同業者と救助現場の後悔
悪天候が予想されていたにも関わらず、なぜ危険な海に出ようとする船を周囲は止めなかったのか。同業者が重い口を開いた。
「他の会社が『きょうお前 出航するな』とは言えない。注意はできるよ。『あ、きょうダメだわ、出たら』とか言えない。そこは会社の中で決めることであって」(小型観光船の関係者)
神尾昇勝会長
「運航しない事業者が運航する事業者に口を挟むというのは基本的にはタブーだった。そこの部分に関して自分たちがしっかりやればというところではあった。(出航を)止める立場にある各事業者に関しては非常に悔いが残る」(知床小型観光船協議会・神尾昇勝会長)
事故を教訓に、小型観光船を出す判断は単独ではなく、同じ地区の同業者が複数で行う「自主ルール」をつくった。1社でも運航が難しいと判断すれば、すべての事業者が欠航することにしている。
一方、救助の現場では、あるルールが障壁になっていた。事故当日、現場から最も近い海上保安庁のヘリはおよそ80km離れた場所で別の業務にあたっていた。知床に到着した時には通報から3時間以上が経っていた。
この時の心境について、当時の海上保安庁のトップ・奥島高弘前長官はこう語る。「旅客船ということですから、『勢力を惜しむな』と指示した。(ヘリの)到着が遅くなったということでやきもきしながら待っていた」。
海保が撮影した現場の様子
当時、現場に到着した海保のヘリが撮影した映像では、白波が立つ、知床の荒れた海が映っていた。救助隊は何も見つけることができなかった。
「捜索する海域は極めて限定された狭い海域なので、九分九厘見つかるだろうと思った。ところが見つからない。『破片もか?』『油もか?』『本当に何もないのか?』 と聞いた。全くないということで、正直私も長いことやってきましたけど、非常に驚いたというのは率直な感想」(奥島前長官)
海保はヘリ到着からおよそ3時間後、自衛隊に応援を要請した。自衛隊の航空機は1時間足らずで現場に到着していたが、なぜもっと早く自衛隊を頼らなかったのか。当時は、現場を見てから応援を要請する「自主ルール」に縛られていたためだという。
「まずよく様子はわからないけど『見てくれ』という(自衛隊への)要請のスキームを作っておくべきだった。そこは反省だと思っていて。それは現場の人たちではなく、中央(海保本庁)の私以下の責任だと思っている」
■検査の負担増加に事業者が悲鳴

