■事故後に変化した価値観

その後の生活
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 小椋氏は、その後の生活について、「事故から3年目に会社を辞めてフリーランスの道を選んだ。ずいぶんお金の面で苦労をしたが、妻は双極性障害という障害を持ち、病棟にも隔離されたことがある。家に一人で置いておけない状態なので決断をした」。

 事故をきっかけに「妻と一緒に過ごす時間を大事にする自分になれた。一日一日自分が何かやらなきゃいけないことだったり、何を大事に生きていくのかを教えてくれたのが多分、脱線事故だったと思う」と語る。

 また、「元々、うちは仲が良い夫婦だが、いつか自分の手元から彼女がいなくなるかもしれないというのを感じるときがあった」と補足した。

 小椋氏は、事故を忘れようと思ったことは「全くない。ゼロだ」と断言する。今後については「僕の中で、事故は生活の中に同居している。日常の中で事故が一緒にいる状態はそんなに不快じゃない。逆に事故から与えてもらったもののほうが多かった。よく思い出させて申し訳ないと言われるが、あの事故がなければ自分の人生はもう少し薄っぺらいものだったというくらい良いことが多かった。ただ、それを良いと思えるようになった自分が成長したという気はする。悪いことだけに目を向けなくなった」と述べた。

(『ABEMA Prime』より)

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