■「裁判に勝っても、私の人生は返ってこない」
勝訴した原告ら
2024年7月、最高裁大法廷は「優生保護法は憲法違反」「差別を助長した国が責任を免れることは許されない」と国の責任を断じた。
「判決も良かったと思っています。苦しい毎日、長い間苦しみながらここまできました。今日は最高の日です。皆さんにはお世話になりまして本当にありがとうございます」(飯塚さん)
判決後、すぐに訪れた両親の墓。「守ってくれてありがとう。裁判長かったね、本当に。大変な思いしてここまで来たので、裁判も良い判決が出たので、良い報告ができて良かったなと思っています」。
判決から2週間、国は態度を一変させた。当時の岸田文雄総理大臣が原告たちに直接面会し、謝罪した。「皆さま方、お一人お一人に、深く深く謝罪申し上げます」。
「飯塚さん岸田です。飯塚さんが本日まで頑張ってこられた結果、今日に至ったと思いますので、しっかりと今までの努力をしっかり胸に受け止めて、これから国としてやるべきことをやってまいります。しっかり見守ってください」(岸田文雄氏)
長い間、埋もれてきた被害者の声にようやく当たったかすかな光。見えてきたのは、失ったものは戻らないという重い現実だった。
「裁判に勝っても、私の人生は返ってこない」
