1948年に施行された「優生保護法」。障害のある子どもは生まれてこない方が良いとする優生思想に基づき、「不良な子孫の出生を防止する」と明記されていた。本人の同意なく、不妊手術を強制することを認め、1996年に改正されるまでの半世紀近くで、手術を受けさせられたのは、全国でおよそ2万5000人に上る。

【写真・画像】「私の人生を返して」16歳で強制された不妊手術…“優生保護法”に人生を奪われた女性、27年の闘いの記録 3枚目
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手術記録

 宮城県庁に保管された手術記録には、宮城県が全国で2番目に多い1400人余りが手術を強制されたことが記されていた。障害のある子どもを増やさないことは「公益」と考えられ、各自治体は競うように手術を実施。優生思想の普及のため県内でキャンペーン運動が展開されるなど、社会全体が差別を助長していた。

 当時の飯塚さんを知る三宅光一さん(87)は、県が設立した特別支援施設「小松島学園」で指導員として働いていた。「あまり話さないで、自分より下の子を面倒見ていました。この子は、知能はほとんど遅れていなかった」。

 入所していたのは80人ほどの子どもたちで、多くが不妊手術のため、病院に連れて行かれた。三宅さんは「(病院に)3人を私連れて行ったことがあります。押し入れの前で座って泣いていました。『もうお嫁さんに行けない』と」と振り返った。

優生保護法と闘い続けた27年
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