事件前の巖さんをよく知る渡辺昭子さんは「うちの子どもも生まれて、(巖さんに)ずっと可愛がってもらって。家族ぐるみで遊園地に行ったり、夏は海へ行ったりしました」と語る。
渡辺さんが大切に保管しているアルバムには、ところどころに剥がされた痕があった。「火事になった3日後になるかね、清水警察署(の警察官)が来たんですよ。アルバム見せてくれと。(巖さんが映った)写真をどんどんめくられて、(警察官が)頭から『ボクシングやっていた。袴田しかない』って。私は『そんなことない。優しくみんなと付き合っていたよ』って。それしか言うことないですよね」(渡辺さん)
発生から49日後、巖さんは逮捕された。理由は部屋から、血の付いたパジャマが見つかったこと。警察の捜査資料には、「ボクサーくずれ」と書かれていた。
「ボクサーであったが故に、司法権力にデッチ上げられ、ボクサーなら人殺しを遺り兼ねないという、人間の尊厳を無視した考え方」(獄中からの手紙1989年3月21日)
拷問まがいの取り調べ
