■カナダ在住の被爆者サーロー節子さん

【写真・画像】「飲み水に虫やゴミ」「給料なし」見過ごされた“障害者虐待” 障害年金5000万円も引き出され…牧場で過酷な労働の日々 2枚目
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節子さん、次男のアンドリュー・サーローさん 

 サーロー節子さんは、広島に「中村節子」として生まれ、13歳の時に被爆。カナダ人のジム・サーローさんと結婚してカナダに移住後、生涯をかけて、核兵器廃絶を訴えてきた。

 夫は13年前に他界。現在はカナダのトロント市内のマンションで一人暮らしをしている。広島のニュースのチェックが日課だという節子さん。「みなさんの前でお話するときに、広島のことを伝えられなければ。だからできるだけ情報は集めたい」。

 節子さんのもとには、今でも世界中から「被爆証言」や「講演」の依頼が寄せられる。「ここ(パソコン)に毎日30も40もメールが入ってくる」。

「これは私のお医者さんから(のメール)。私、明日お約束があるんです。(腰が)痛くてしょうがない。でも私それキャンセルしちゃったの。やっぱりいろいろと忙しくて…。だから自分の健康の問題すら、仕事が忙しくてキャンセルするって。これじゃいけないって自分に言い聞かせてはいる」「仕事が……。やっぱり私がアクションとらないと他の人たちが待ちぼうけになっても困ると思って」(節子さん) 

 食事はほとんどが自炊。週に一度訪ねてきてくれる次男のアンドリュー・サーローさん(63)が生活の頼りだ。

「母は92歳にしては元気だと思うけど、そうは言っても92歳だ。彼女は自分のことを必要としてくれる人に対してはどんなことでも絶対に全力を尽くそうとする人なんです。だからもう少しのんびりしたり、読みたい本を読む時間を作ってほしい」(アンドリューさん) 

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