長崎への原爆投下から63年となった2008年8月9日。国連演説から26年、77歳(取材当時)になった山口仙二さん。持病のぜんそくが悪化し、妻・幸子さんと共に長崎の街を離れたケアハウスで静かに暮らしていた。
上半身はケロイドに覆われ、様々な病気に襲われ、自殺を図ったこともあったという。国が起こした戦争で原爆に遭い、苦しみ続ける被爆者になぜ国は治療費を出さないのか。
当時25歳(1956年5月)の仙二さんは、入院した病院で同じ境遇の若者たちとの交流をきっかけに、日本被団協の源流「長崎原爆青年乙女の会」を結成。その3カ月後、長崎市で「被団協」が産声を上げた。
仙二さんは29年間、代表委員を務め、反核平和運動をけん引。2005年には、個人としてノーベル平和賞候補に推薦された。
「(ノーベル平和賞を)受賞しようとしまいと、核兵器をなくすということは被爆者にとって最大の義務なんです」(仙二さん・当時75歳)
日本政府に怒りをあらわ
