2008年、長崎市で行われた平和祈念式典。当時の福田康夫総理大臣はあいさつを読み上げた。
「本日、私はここ長崎で、我が国が今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け国際社会の先頭に立っていくことを改めてお誓い申し上げます」(福田総理・当時)
「やっぱり一番肝心なことは、原爆を投下したアメリカに対して、日本政府が何も言わないというところが、もう本当にこれはもう…駄目です。厳しくアメリカに対して抗議をせんば。8月9日は、特にそうだと思うんですけど。もう駄目だ…」(仙二さん・当時77歳)
家族や友人を失った、深い悲しみ。体に残された傷跡。被爆者であるが故の差別や生活苦。長い年月を経ても、細胞を蝕むしばみ続け、がんなどの病を引き起こす、放射線の影響。原爆は被爆直後だけでなく、生涯にわたって被爆者の心身を苦しめている。
「毎日たくさんの被爆者が原爆で殺され続けてる!軍艦は入るなと頼んだんだ!抗議したんだ!」(仙二さん・当時58歳)
「日本の総理大臣が、今度のアメリカの核実験は理解できると、こんなばかげたことを、世界唯一の被爆国の総理大臣がぬかしやがった!被爆者のことも、遺族のことも、この総理大臣は分かっとらん!」(仙二さん・当時66歳)
「城山小学校の運動場は子どもたちで埋まってしまったんです。運動場が死体で埋まってしまったんですよ。家族が全滅することは、どんなに大変なことでしょうか。お母さんが死ぬ、子どもが死ぬ、夫が死ぬ。そういう殺し方を原爆はするんですよ。どんなことがあっても、この原爆だけは許してはならないんです」(仙二さん・当時71歳)
「地獄でしたからね。いっぱい子どもたちの死体も見たし、あの時はもう…。火が迫ってきて、『助けてくれ』と言ったって、誰も助けんわけです。自分が逃げることで精一杯。63年間、8月9日、みんなが経験してるんですけどね。歴史をきちっと正確に、子どもたちに伝えていかなきゃいけないのがあるんだけれども、いろいろ心配がありますね…」(仙二さん・当時77歳)
被爆体験の証言をつなぐ若者の存在
