■長生炭鉱で83年…海に眠る遺骨
長生炭鉱
山口県屈指の工業都市、宇部市。発展の礎となったのは石炭産業だ。炭鉱の多くは、海の底を掘り進める海底炭鉱で、その一つが「長生炭鉱」だ。長生炭鉱の跡地には「ピーヤ」と呼ばれる2本の排気口が当時のまま残っている。
市民団体「長生炭鉱の水非常(みずひじょう)を歴史に刻む会」の共同代表、井上洋子さん(75)。水非常とは、海底炭鉱での水没事故のこと。「刻む会」は、希望に応じて長生炭鉱の勉強会を開いている。
「事故自体は人災だった、助かる命だったということだ。この183人の人たちは死ななくてすんだ命。そこをしっかり押さえて頂きたい」(井上さん)
当時、長生炭鉱があった場所では、海底から47メートルより浅い場所での採掘は法律で禁止されていた。しかし、長生炭鉱は最も深い場所で37メートルしかなく、違法な操業をしていた。
1942年2月3日、その日は、いつもより多くの石炭を出すよう現場に指示が出されていた。無理な採掘を続けた結果、沖合およそ1キロの坑道で天井が崩れ、海水が流入した。坑内にいた183人が死亡し、そのうち136人が朝鮮半島出身者だった。事故の後、炭鉱の運営会社は解散し、遺骨は放置されたままだ。
宇部市史には「長生炭鉱は特に坑道が浅く、危険な海底炭鉱として知られ、日本人から恐れられたため、朝鮮半島出身者が投入されることになった模様」と記載されている。
炭坑跡の近くに「刻む会」が建てた追悼碑には「強制連行」と刻まれている。「全ての方が強制連行ではないですけども、強制連行は確かにあった事実として、きちんと書かないと分からない」(井上さん)
長生炭鉱は朝鮮半島から労働者を集めていた
