画家 千田豊実さん
第2次大戦後、旧ソ連軍により約60万人の日本人が過酷な労働を強いられ、およそ5万5000人が亡くなったとされる「シベリア抑留」。香川県さぬき市の川田一一(かずいち)さんは、1945年、20歳のとき旧満州で終戦を迎え、現在のカザフスタンにあった収容所に捕虜として送られた。
3年後に帰国した川田さんは自身の経験を誰にも語らず、70歳になって初めて絵筆を握り、抑留の記憶や仲間への鎮魂の思いをキャンバスに描き始めた。川田さんの孫で画家の千田豊実さん(43)は、2012年に川田さんが87歳で亡くなった後も、その遺志を継いでシベリア抑留をテーマにした作品を制作している。若い世代にも伝えていこうと、四国学院大学で演劇を教える友人の仙石桂子(44)さんに相談。2025年冬、大学生らとともに、川田さんと千田さんを題材にした演劇公演を行うことになった。
人の命を奪うだけではなく、生きて帰った人をもずっと苦しめる戦争。戦後80年を迎え、体験者から直接話を聞く機会が年々減る中、その「記憶」を次世代につなぐ取り組みを追った。
画家・川田一一が描いた「シベリア抑留」の記憶
