■画家・川田一一が描いた「シベリア抑留」の記憶

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シベリア抑留を描いた絵(作:川田一一さん)

 千田さんが使っているのは、13年前に亡くなった祖父の「絵筆」だ。「思うようには描けないと思って使っていたりします」と話しながら、「『筆を洗わないといけないよ』って祖父には何回も言っていたんですけど、全然洗わない」と祖父との思い出を振り返った。

「(祖父は)『1枚でも多く絵を描く』と言っていたので。筆を洗うどころじゃないというか、絵の具も蓋を閉めるどころじゃなかった」(千田さん)

 祖父の川田さんが描いていたのは「シベリア抑留」の記憶だ。第2次大戦後、旧ソ連軍により、およそ60万人の日本人が極寒の地で過酷な労働を強いられた。帰国後、その経験を誰にも語らず、70歳になってから絵筆を握った祖父の姿を千田さんは隣で見てきた。

「キャンバスの前でうずくまって『動かないな』と思っていたら、涙していた。それを見て、私もいたたまれなくなった」(千田さん)

およそ5万5000人が亡くなったとされるシベリア抑留
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