2012年10月、川田さんは間質性肺炎のため87歳で死去。病床でも、翌年3月に控えた2人展への意欲を見せていた。それまで、祖父の「背中」を通してシベリア抑留と向き合ってきた千田さん。川田さんが亡くなる前、初めて「正面から」その姿を描いた。

 祖父と入れ替わるように、お腹に新たな命を宿した千田さんは、2人展開催の2日前に長男を出産した。

「意識がはっきりしてたときに『男の子だ』というのも報告できたので。そのときは、喜んでくれました。命そのものが奇跡というか。祖父、祖母が戦争を生き抜いて帰ってこなかったらつながらなかった命なので」(千田さん)

 千田さんは、川田さんの遺志を引き継ぎ、シベリア抑留をテーマにした絵画の制作を続けた。頼りにしたのは、抑留経験者や遺族の証言や資料、そして3年間、隣で過ごした祖父が遺した「言葉」だ。

「『隣の人が死んだ。埋葬のときに土が掘れなくてそのままにした』とか。描いているときにちょっと質問して答えてくれたのを書いて、そこから構想を練って。伝えるべき視点というのは、抑留者の存在を忘れないこと。戦争が二度と繰り返されるべきではないという」(千田さん)

演劇によるアプローチ
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