■父の最期の場所へ

父の最期の場所に遺影を飾る勉さん
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父の最期の場所に遺影を飾る勉さん

 戦友が日記に添えた手紙には、冨五郎さんが警備隊の本部近くで埋葬されたと記載されている。警備隊本部の場所は飛行場の南部で、その場所を目指す。

「64警備隊の半径30メートルを詮索すれば、私はたどり着くと私は想像している」(勉さん)

 藪の中を歩き進める勉さん。高い気温と湿度も相まって座り込んでしまった。

「目まいがした。あー苦しい。湿度に参ったね。息疲れる。(地面が)こんもりしているからね。お父さんの場合、死と対峙しながらでしょ。今みたいな状態で私、(日記を)書けって言われても書けない。息するのが精いっぱいだ」(勉さん)

 目印となったのは、かつて島の行き来に使われた桟橋。さらに、航空廠の跡地も確認できた。その先に、警備隊本部があったとされる場所が。この地で、冨五郎さんは日記に最期を綴った。

「三月五日 昨日僕ノ誕生日デアッタ。昨日カラ急ニ体が弱ッタ。本日ニ至ッテモウ夕刻ハ歩ケナイ程 足ガムクムナリ 人生モ之レ迄デ」
「死ノ一歩前」
「ガ死ダ食モノナシ」

 体は限界を迎え、乱れた字でこう書き残す。

「全ク動ケズ苦シム。日記書ケナイ 之ガ遺書」
「昭和二十年四月二十五日 最後カナ」

 翌日、冨五郎さんは亡くなった。勉さんはその場所に果物や花を供え、遺影に手を合わせる。

「お父さん勉です。いつの日か星空の下でお父さんとお会いできる日を楽しみにしています。お父さんコモルタタ(ありがとう)。お父さんコモルタタ(ありがとう)」(勉さん)

遠い島で綴られた家族への愛
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