■遠い島で綴られた家族への愛
父の遺書に涙を流す勉さん
勉さんが、どうしても訪れたかった場所がある。ウオッゼ島から6キロほど離れた小島・エネヤ島。冨五郎さんは、亡くなる半年前から1カ月前までこの島に配置されていた。勉さんは「お父さんも海を見ながら、日本に帰りたいと思ったことあったんでしょうね」と涙ながらに語る。
食糧が尽き、いずれ命を落とすことを覚悟した冨五郎さん。家族への愛を綴っていた。
「昨夜ハ写真ヲ見タ」
「其ノ為カ夢デ子供、妻を思イ出シテ泣カサレタ」
「勉君ドウシタカナー」
「ドンナニ大キクナッタ事でせう」
日記には、家族に宛てた遺書もあった。
「コレヨリ家庭欄ニシテ有リマスカラ ヨク読ンデ下サイ」
「孝子、信子、勉、赤チャンも。」
「父親ニ盡す(尽くす)親孝行ハ皆ンナデ 母親ニ孝行ヲツクシテ下サイ。父ノ分マデモ」
「ソシテ家内、仲良ク兄弟、姉妹 仲良ク クラシテ下サイ」
「父ナキ オマイタチモ 何ニカニ不自由デセウガ イタシ方ナシ 之モお國ノタメダ。」
「元気デ ホガラカニ オイシイモノデモタベテクラシテ下サイ」
勉さんは涙に震えながら、日記の中の父に報告する。「『仲良く元気に朗らかに暮らしなさい』という文面を読むといつも勉は泣いておりました。お父さん、家族はみんな元気です」。
戦後80年、日記の中に生きる父。「一生追いかけた人生だったね。大空でゆっくり2人で話し合って、それが終着駅で、大空で永遠に続くと思う」(勉さん)
(東日本放送制作 テレメンタリー『日記の中の父~餓死の島80年後の追憶~』より)
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